油津の郷愁風景

宮崎県日南市 <港町> 地図 
 
町並度 5 非俗化度 6 −日向南部を代表する港町 名産飫肥杉の積出港−
 
油津1丁目の町並
 

 日南市の古くからの市街地は、内陸に位置して城下町・武家町に由来する飫肥(おび)に対し、港町・漁村に由来する油津がある。
 中世には油之津と呼ばれ、既にその頃から海上交通、軍事的要衝として注目されていた。江戸期になると、名産である飫肥杉の集散地として、港が発達した。明治に入ってからも県南の商港、漁業基地としてさらなる発展を見る。商船会社の営業所が開設され、全国各地と物資がやり取りされた。水産物のみならず畜産、鉱産物、農産物など多岐にわたる物品の取引がなされ、港周辺にはそれらの事務所、社屋が建ち並んだ。また鹿児島、沖縄各地、阪神地区などへ定期船が就航しており、飫肥杉の積出にも利用されていた。
 このように油津は明治以降も近代的な港町として途切れず発展し続けた経緯もあって、現在残る歴史的な痕跡、町並景観にもそれが感じられる。その象徴が国道に面して残る洋風の建物だろう。銅板に覆われた3階建てで、杉村本店との文字が見える。昭和7年建築の商店兼住居だそうで、この町並で最も目立つ建物である。そこから少し西側に入ると、幾棟かの煉瓦建築が目に入る。油津赤レンガ館と名付けられ内部が公開されている。材木商の倉庫として建設されたもので地区のシンボルとなっている。
 街の中心を二分するように橋が架けられているが、これは川ではなく堀川運河という入江である。人工的に開削されたもので、しかも岩盤を掘削するなどの難工事を経て江戸前期には既に完成していた。その目的は飫肥杉の搬出のためで、多量の材木を積載した大型の運搬船も入れるように水深6mにまで掘削されているという。当時の技術でいかに困難なものだったか、しかしその必要に駆られるほど飫肥杉は藩の収入の重要な要素だったのだろう。
 飫肥とは対蹠的な町並の姿で、この二つの町を歩くだけで日南地区の歩んだ歴史が嗅ぎ取れるようだ。

 





油津2丁目の町並
油津1丁目の町並(油津赤レンガ館として公開される建物)




油津3丁目の町並 油津2丁目の町並


訪問日:2014.01.03 TOP 町並INDEX