阿井の郷愁風景

島根県仁多町【街道集落・産業町】 地図 <奥出雲町>
 町並度 4 非俗化度 10  −陰陽連絡路の峠下集落 たたら製鉄でも賑った−


 島根県出雲地方の最奥、山深いところに阿井の町並が開けている。国道432号線の旧道に沿って線状に展開する町並には古くは徒歩行の人々が行き交っていたに違いない。このルートは古くは出雲備後道と呼ばれ、備後庄原方面とのつながりが強かった。陰陽連絡道としても利用されていたが、ここに宿駅が設けられていたかどうかは定かではない。しかし峠は備後側はなだらかだが出雲側は険しい山道である。旅籠の数軒はあったに違いない。
仁多町上阿井の町並




 


 
 集落は上阿井・下阿井にわかれ、街道集落らしい佇まいが見られるのは上阿井である。ここからは西へ山を越え吉田村へ向う街道が分岐していて、小規模ながら町場が古くから開けていたものと想像できる。
 町の賑わいは旅人の往来の他、付近で盛んだった製鉄業によるところも大きい。資料によると宝暦4(1754)年には戸数358という意外なほどの多さで、その内50軒は薪炭業に従事し、30軒はその他各種商業を営んでいた。その薪炭業というのは製鉄に関与しているのは明らかで、たたらと呼ばれた当時の和鉄生産には大量の木材を必要とした。実際にたたら製鉄の実務に携わった者も少なくなかったという。
 このたたら製鉄は原料の砂鉄を採取するのに河川に大量の土砂を流入させ、また製鉄炉の燃料確保のため山林を伐採しつくしたため現代では考えられないほど各地に甚大な公害を捲き起こし、下流側の地形を変えたほどである。しかし当時はそのようなことはもちろん眼中に無く、この奥出雲地方を中心とした地区では一大産業として繁栄の一時代を築いてきた。
 上阿井の町は宍道湖に注ぐ斐伊川の支流・阿井川の段丘に沿いカーブしながら続く。家々は平入り切妻の形を取る。冬季は積雪の深い土地であることもありトタン屋根となっているものもあったが、過半数は山陰らしい赤褐色の瓦で被われていた。一部では土蔵と裏庭を従えた、規模の大きな家屋も見ることが出来、製鉄で栄えていた頃の名残なのかもしれない。
 しかし簡素な造りが多くを占めていて、山間の陰陽連絡の街道集落として付近の山村の物資が集まり、また旅人の立寄る集落としての姿がかつての普段の姿のようであった。

 
 


訪問日:2017.06.17 TOP 町並INDEX