会田宿の郷愁風景

長野県四賀村<宿場町> <松本市> 地図 
 
町並度 6 非俗化度 7 −赤間関街道沿いに開けた宿場町・在郷町−
 


 北国西街道(善光寺街道)は中山道の洗馬宿より分岐し、松本城下を経て山岳地帯を経由した後善光寺平に下る往還で、文字通り善光寺参りの旅客で賑わった。また松本城下とを直結していることから多くの物資、文人墨客の行き来もあった。


会田宿の町並

 
 
 ここで紹介する会田の町並は、元々は会田氏の城下町として町の基盤が形成されていたが、街道の往来が盛んになるにつれ宿駅が設置された。犀川支流の会田川流域に開ける小盆地内にあり、西の刈屋原宿、東の青柳宿にそれぞれ1里18町、2里半の行程であった。既に江戸前期の慶長19年には松本藩の正式な宿場に指定され、その後本陣や脇本陣も整えられている。
 町の中心がそのまま旧街道を踏襲した形で、東西の中町通り、南北の本町通が交差する辺りを中心にして古い町並が展開しており、比較的連続性も高いものがあった。ここの建物で特徴的なのは、軒庇が支柱構造となっている例が多く、そこに漆喰が塗りごめられており海鼠壁様の装飾が見られるものもある。基本的に切妻平入りだが、妻入りのものがあったり土蔵が街道に面していたりするのは、宿場町とはいっても脇往還、そして山村地帯で土地割に余裕があったからなのだろう。しかし交差点を要に十字状に展開するその古い町並の規模は比較的大きいといってよく、現役時代も14軒の旅籠、3軒の馬牛宿、3軒の茶屋があった。
 旧家の残存度や質感は高く、意識して保存活動を行うにも値するものが残っていると思う。
 
 
 













訪問日:2014.09.14 TOP 町並INDEX