相川の郷愁風景(1)

新潟県相川町<産業町・港町> 地図 <佐渡市>
 
町並度 6 非俗化度 7 −金山の麓の商家町・港町−




二町目の町並



 相川地区は島の北西部、日本海の外海側に面している。佐渡金山の中心地として知られ、現在でも大きな市街地を有しているが、島の幹線道路の軸線からは外れた位置にあるため町域を通過する車が少ないからか、比較的静かな印象を抱く。


三町目の町並




四町目の町並 下戸町の町並




小六町の町並
 
 

 古くから島内各所に金・銀山が存在していたが、相川の金山は圧倒的な規模を誇り、400年もの長期にわたって採掘されていた事も特徴的で町の生成には金山の存在が大きな割合を占めるものであった。
 江戸の初頭には金鉱脈が発見され、徳川家康の主導もあって急激に金山を中心とした町場が発達した。現在の市街地より山あいの地域で露天掘、坑道により採掘され、全国各地から労働者が集まり、人出不足から収監された囚人を坑内の雑役に充てたりしたという。
 幕府は急増する人口に対し、計画的な都市づくりを行った。金山に近い丘の上のエリアは精錬などの産業地区、労働者の住居、また行政地区として、海岸に近い平地は商人や職人の町とした。後者は後発的に整備された地区であるが、現在はこちらが中心となっており、商店街や宿泊施設もある。
 町並が広範囲にわたる上、町の性格も異なるため、ここでは海岸部の通称下町と呼ばれる地区を紹介する。
 この地区を歩くと、計画的に町割されたことがわかる。平入りの建物が連続し、短冊状の土地割がなされていて、町並景観的には典型的な都市型の古い町並といった風情だ。相川の港は現在こそ本土とを往来する航路はないが、かつては番所が置かれ奥州の木材、庄内や越後の米、九州の陶器、京・大坂の衣料など全国と商取引が行われていたことから、この下町に残る町並は鉱山をバックに商港の賑わいを示すものといって良いかも知れない。
 北側から一町目〜四丁目といった辺りが中心だったと思われる。一町目あたりから北は道路が拡幅され近代的な家並だが、塩屋町から小六町、材木町付近では再び古いたたずまいとなる。また南に連続する下戸町付近にも町並として残っていた。
 二回部分が前面にせり出したような構造のせがい造りと呼ばれる建物が目立つ。そのためやや圧迫感を感じる家並景観で、それがこの町並を特徴付けるものの一つと言えるだろう。
 相川では観光客に公開される坑道を中心として、金山の遺構が主に注目される一方、この付近の町並はほとんど外来者の訪問がないようだ。それだけに自然体の古い町並が残っていて貴重といえるが、もう少し地元の方々が認識され、魅力を発信するのも良いかと思われた。
 
 
訪問日:2017.05.01 TOP 町並INDEX