相川の郷愁風景(2)

新潟県相川町<産業町> 地図 <佐渡市>
 
町並度 5 非俗化度 5 −丘の上に開ける旧市街−




京町通りの町並


 相川地区は島の北西部、日本海の外海側に面している。佐渡金山の中心地として知られ、現在でも大きな市街地を有しているが、島の幹線道路の軸線からは外れた位置にあるため町域を通過する車が少ないからか、比較的静かな印象を抱く.
 古くから島内各所に金・銀山が存在していたが、相川の金山は圧倒的な規模を誇り、400年もの長期にわたって採掘されていた事も特徴的で町の生成には金山の存在が大きな割合を占めるものであった。
 江戸の初頭には金鉱脈が発見され、徳川家康の主導もあって急激に金山を中心とした町場が発達した。現在の市街地より山あいの地域で露天掘、坑道により採掘され、全国各地から労働者が集まり、人出不足から収監された囚人を坑内の雑役に充てたりしたという。
 幕府は急増する人口に対し、計画的な都市づくりを行った。金山に近い丘の上のエリアは精錬などの産業地区、労働者の住居、また行政地区として、海岸に近い平地は商人や職人の町とした。後者は後発的に整備された地区であるが、現在はこちらが中心となっており、商店街や宿泊施設もある。
 ここでは古い街区であった丘の上の地区を紹介する。
 舌状に張出した丘陵地は端部では急勾配をなしており、商店街などのある海岸近くの平地とは明確に隔離された地形となっている。台地状は東に向い緩やかに上りながらも比較的平坦で、ほぼ碁盤目状に区画された町割が現在でも残る。中でも京町通りと呼ばれるものが主要街路であり、現在でも小ぶりながら伝統的な外観の家屋が多く見られる。西に目を向けると海の景色が開け、風光も良いところである。
 この付近は現在では静かな一角だが、かつては町の中心として鉱山へ通う労働者などであふれ、家並が密集していた。現在家々が連続するのは坂上にある旧相川拘置所付近までだが、以前はそれ以東も家並がひしめいていたという。その付近に「大工町」という地名があるのも、歴史を証明しているようだ。ちなみに佐渡では金を採掘する人のことを大工と呼んでいたという。
 周囲には金山の重要な遺構が多く残るエリアで、北側の谷間には精錬・選鉱を行っていた施設が大規模に残り、少し山手に足を向けると観光用に公開された坑道がある。また台地の先端、港を見渡すような位置には奉行所跡が復元されている。


 






味噌屋町の町並

訪問日:2017.05.01 TOP 町並INDEX

※一部の文章内容は「相川の郷愁風景(1)と共通