赤名の郷愁風景

島根県赤来町【宿場町】 地図 <飯南町>
 町並度 4 非俗化度 10  −難所赤名峠を控えた銀山街道の宿場町−




 山陰・山陽を結ぶ幹線国道である国道54号線の陰陽の境は赤名峠であり、今ではトンネルで呆気なく越えてしまう。かつては険路の峠越えで、しかも徒歩や牛馬での荷送に依っていた。山陰側最初の集落である赤名は峠の名そのままを冠し、まさしく峠下の宿駅として機能していたところであった。
赤名の旧銀山街道沿いの町並



 この街道は銀山街道と呼ばれ、大森(現大田市)で産出された銀を運ぶ重要な道として、また山陰と山陽を結ぶ主要街道として往来もしきりだった。各地からの小さな街道もここで合流していたことから、一層往来の要として賑やかだったのだろう。政治的にも出雲・石見・備後の国境が迫る土地であり、重要な町だった。

 この赤名は、峠を控えて荷を新しい馬に付替える場所となっていて、山を越えた布野宿
(広島県布野村<現三次市布野町>)、さらには三次までを赤名の村民やその助郷村が担当した。その過酷な労働のため江戸末期の文政期頃には幕府へ直訴する事件も発生している。特に冬は積雪が深い土地であり、その労務は並大抵のものではなかっただろう。
 町の北端に今でも石見銀山への道標が残っていた。そこから数回街道は折れて、やがて峠に向うなだらかな上り坂が続く。この付近は意外に平坦な土地で、川を挟んだ対岸には水田が広がっているのだが、町並自体は穏やかな山間の田舎町という印象だ。山陰独特の赤褐色の瓦に被われたやや古い家並が1km近くにわたって連なる。江戸に遡るような中二階の建物はないのは、大正時代になって町のほぼ全体を焼く大火があったからだろう。しかし中には入母屋の厳かな屋根を従えた商家風の建物も残っており、宿場町以降も往来の重要地として栄えていたことを証明していた。
 備後・安芸に向う旅人はここで体力を蓄え、備後側から峠を越えてきた者はこの赤名の町を見下ろしほっと一息ついた事だろう。







 




訪問日:2007.06.17 TOP 町並INDEX