赤坂宿の郷愁風景

岐阜県大垣市<宿場町> 地図
 
町並度 5 非俗化度 7  −中山道の宿場から石灰岩の産業町としても発展−

厨子二階といわれる屋根裏部屋を設けた中二階の建物。かつては二階建ては禁止さされていたのでこのような造りは各地で見られます。

 

 太田宿から濃尾平野北部を進んで6つ目が赤坂宿である。ここには大垣から東海道本線の支線が出ていて、駅から5分ほど北に歩くと旧中山道に突き当たる。
 旧街道は現在は2車線のゆったりした道路となっているが、交通量は比較的少なく、落着いた家並をゆっくり散策できる。本陣跡は残念ながら広い敷地が残るのみであるが、あちこちに格子の古い造りの建物が残っている。
 

国重文の矢橋家。この東側の辻は谷汲街道の追分で、道標が保存されています。

辻より美濃赤坂駅に向う側に見られる矢橋家の側面の焼板塀。とにかく大変な豪邸です。




そんな中にあって、江戸時代の代表的建築である矢橋家住宅(国重文)は、東西南北100メートル四方に及ぶかという広大な屋敷であり、この宿場の代表的町家である。四辻から駅へ向う通りに延々連なる焼板塀は、なかなかの風情がある。
 ここは宿場だけでなく、大理石、石灰岩の産地として明治時代を中心に栄え、町並の東側には「石灰御殿」とも言うべき重厚な格子の商屋が現存する。さらに東に向うと、川港の跡があり、ここから揖斐川に出て桑名から各地に帆出されていたとのことである。

 
 

古くからの石灰商。重厚な総二階建です。




町並東端の赤坂港跡。今はドブ川のようになっているがかつては川幅も広く、近くの赤坂港会館(明治初期の洋館・無料・ボランティアガイド付)で当時の写真を見ることが出来ます。


訪問日:2001.12.23 TOP 町並INDEX