赤崎の郷愁風景

鳥取県赤碕町<港町> 地図 <琴浦町>
 
町並度 6 非俗化度 8 −街村的に連なる町並 江戸期には藩港として栄えた−

      




海岸に沿い古い家並が街村的に連なる赤碕の町並


 鳥取県の中央部やや西寄りの日本海岸の町・赤碕。中世からの古い港町であり、泊・橋津・由良などと並び藩港として栄えた。藩米をはじめ近隣で産出される木綿をはじめとする産物が菊港と呼ばれたここより積出され大坂の中ノ島にある鳥取藩の大坂御蔵へ向った。藩倉も多く存在し、海岸に沿い建てられたことから「灘御倉」と呼ばれたという。
 後に陸路が発達してくると、鳥取から米子へ至る伯耆街道の宿場ともなり、京都三井店の木綿買付けを赤崎の商人を通して行うようにもなったという。
 港町は日本海の海岸線に沿って、東西約1kmにわたり細長く続く。家並の間に所々路地があり日本海へと抜けている。緩やかにカーブを連ねる街路は適度に遠見遮断効果があり、歩いていて次に展開する町並風景への期待感を抱かせる。
 赤崎の古い港町は、山陰本線や国道9号線が山側を通過したために、江戸期以来の風情が多く保たれている。もっとも往時のままの古い町家形式の旧家が連続しているところは少ない。しかし細い格子を一階部の出格子だけでなく二階部も全面に構え、平入りの妻部は、あるものは板塀が施され、または漆喰で塗り込められる。屋根は山陰独特の赤瓦主体に、黒い瓦も散見される。いずれも山陽地方では見ることのできない色合いだ。現代的な建売住宅的な家は全くなく、建築年代はそれほど古くなくても全体的に古い町並の雰囲気が濃く感じられる。そしてその雰囲気は、板塀が多用されているせいもあるのだろうか、何か北国の港町のような寂寥が漂っている。町並の充実度以上に郷愁を感じさせる港町である。
 最近修復されたらしい家も一部古い建築様式を守っているものもあり、住民はこの町並に対して、意識をされている色が若干伺えるが、町並散策者はもちろん、町並を案内する標識等は全くなく、ほとんど素のままの港町が残っている。残存する町並の規模や質からも、もう少し認識度を高め、保存に向けた動きを起こす価値はあると思う。








町の西側には、浜に接して広大な墓地が開け、その先に日本海が広がっている。丘から見下ろすこの風景はかなり壮大であり、異様でもある。赤碕周辺では、「埋墓」・「祀墓」を別々に祀る、いわゆる両墓制の残る地である。盆や正月は両方が祀られるが、僧は供養墓だけを拝むものである。その他この地域には独特の風習が数多く今に残ると言われており、興味深い。


訪問日:2003.06.01
2017.09.12再取材
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