赤沢の郷愁風景

山梨県早川町【講中宿・山村集落】 地図
 
町並度 6 非俗化度 4 −信仰者のための宿屋群が斜面に展開する−
  




代表的な赤沢の旧講中宿・大阪屋と付近の町並




早川町赤沢は県の南部、富士川沿いの幹線往還より支流早川を遡って西に入り、身延山の北西麓に取り付いたような位置にある山村集落である。早川に沿う道からこの先に集落があるとは思えない急峻な細い坂道をしばらく登ると周囲が開け、谷を望む斜面に集落の全貌が姿を現す。
 零細な農家と見られる家々もあるが、集落環境には不釣合いな豪奢な木造建築があちこちに見られる。多くはもと宿屋の建物であり、おびただしい講札を貼り付けたその姿も生々しい。ここは日蓮宗総本山である身延山と、その付属的な存在である七面山を結ぶ道沿いにあったことから講(信仰を同じくする集団)による宿泊所として栄えた所で、我国でもやや珍しい部類の集落といえる。その歴史性と建物の貴重さが評価され、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
 宿泊地としては江戸時代中盤から発展をしめし、頂点は明治から大正にかけてであった。この頃には九軒の旅籠屋があって信仰者の利便に寄与し、山深い集落は賑った。


 講中宿として発達する一方、もともとの集落の基盤であった木工業をはじめとする産業は旅人が落す金銭もあってか伝統産業として根付き、また優良な職人を輩出している。今に残る旧宿屋群が素晴しい意匠を持つ木造建築であるのもそのことと無関係ではなかろう。











 
 現在残る旧講中宿で最も見応えのある大阪屋は軒下一面に講中札が貼られ繁栄のほどを窺い知ることができる。裏手に従えた土蔵風景も見物である。宿の玄関から正面に見える江戸屋、斜面を少し登った所にある喜久屋、大黒屋などが原型を残し、一部は今でも旅館として営業されている。
 重伝建地区となっていることもあり山奥の辺地にあるこの集落も人々の訪れが多いのだろう、一部には外来客を受入れるような施設も見られた。国補を受け綺麗に修繕された建物もあり、また一部の区域では「それらしい」石畳も整備されている。しかしそれらが厭味に感じないのはどうしてかと考えると、深山に囲まれた自然豊かな環境があるからではないかとも思う。
         
訪問日:2009.01.02 TOP 町並INDEX