明智の郷愁風景

岐阜県明智町<宿場町・商業町> 地図 
 町並度 5 非俗化度 3  −二つの街道の交差する交通の要衝−






明智の町並は洋風の装いが目立つのが特徴的だ


 岐阜県南東部の山間に明智の町がある。恵那市から旧国鉄明智線のローカル鉄道に乗り山々を縫いながら辿り着くこの町は山深い中にも平地が広がり、いかにも古くから歴史や文化の息づいたらしい土地だと思わせる。近年、日本大正村と称して洋風建築などを表に出して集客を試みているが、町の歴史はむろん大正どころでなく中世から東濃南部地区の中心であったことが証明されている。
 




  
 
 今では山間の田舎町であるこの町も、かつては重要な街路の交差する要衝として大変な賑わいを見せていたという。名古屋城下と信濃飯田を結ぶ街道と、三河岡崎から飛騨高山を結ぶ街道がここで交わり宿場町を形成していた。殊に前者は中馬街道と呼ばれていたもので、その名の通り馬による物資の輸送が盛んに行われここではその中継を行っていた。多くの旅籠や木賃宿、馬宿が存在し、旅人・商人そして積荷の入り混じり交錯する活気ある町であった。山国信州にとって塩は貴重品であり、特に塩の道としてこの街道は重要な位置付けをされていた。
 近隣の経済の中心として商売が許され、いわゆる在郷町としての賑わいもあり周辺の中小農村の耕地を管轄し、実権を握り農産物の多くが明智に持込まれ売り捌かれていった。周囲では古くから養蚕が盛んであったこともあって明治になると製糸業が勃興、機械化もあって一大産業町として著しく発展した。それは昭和初期の恐慌時まで続いたが、以後は近代交通網から外れたこともあり急速に衰退した。
 その浮き沈みの激しく時代に揉まれたさまは、先に記した大正村と呼ばれるほどの近代建築群に象徴される。下見板貼りと呼ばれる木造の美を遺憾なく表した旧役場の建物、郵便局その他が今に残り、一言で言えば探訪者受けする佇まいが残っている。これも明治以降に大きく栄えたことによるものだろう。多くの建物が公開され、また一部は有料の博物館的な施設として訪ねるものを受け入れている。
 付近には「大正路地」と呼ばれる土蔵の連続した小路や、「うかれ横丁」というかつて繁華街であった裏路地なども残っていて、それらが風情をかもし出している。古い町並として一級品というほどではないものの、その歴史性・話題性は評価できよう。万人向きの町並ともいえようか。
 日本大正村とは些か大袈裟ではあるが、町並や建物の素材を探訪者に誇張せず活かそうとするその姿勢は評価したい所だ。
   




「大正路地」と呼ばれる小路 「うかれ横丁」これもかつては主要街道だった



突当りは旧役場の洋風建築

訪問日:2009.07.20 TOP 町並INDEX