尼崎の郷愁風景

兵庫県尼崎市<寺院群> 地図 
 
町並度 5 非俗化度 6 −全国的にも稀少性の高い寺院の伝統的町並−
 
寺町の町並




寺町の町並


 尼崎市は阪神工業地帯の中枢をなす地区で、市域は完全に都市化、あるいは工業地化され古い町並が残るなどとは全く想像しがたい。しかしこの尼崎でも、歴史的なエリアはしっかりと残っているものである。
 阪神電鉄の尼崎駅を降りて南西側、寺町には文字通り寺院の集積した町の風景が見られる。寺町と名の付くところは全国に結構あって、寺の固まった独特のエリアを演出しているのだが、多くではRC造りの本堂などを構えるなどそれなりに近代化している。尼崎の寺町はその寺院群がその旧態を残し、連続性も高いことから、古い町並として評価できる点で極めて貴重なものとして訪ねた。
 この寺町は元和三(1617)年に尼崎に入部した戸田氏は、尼崎城築城にあたり周辺の諸寺を集めたことに由来する。この一帯には現在でも11ヶ寺が残され、重要文化財も七件存在していて、その質は高いものがある。中でも東から広徳寺・甘露寺と続く東西の通りは、北側が全て寺の連続した景観であり町並としてのインパクトを強めている。立派な彫刻の施された重厚な薬医門、本堂も木造の厳かなものがほとんどであり、中には煉瓦塀を巡らせたものもあった。町はこの寺町を意識されているらしく、路地は石畳風に改められていて、それがわざとらしい感触でないのもよい。
 この寺町は町の性格からして全国的に見ても貴重なもので、今後も地味に残していってほしいものだ。
 一方古い尼崎の顔は漁村であった。寺町から通行量の多い国道43号線を跨いで南側にわずかにその痕跡が残る。漁家というよりそれを糧に財をなした商家で、切妻平入り・袖壁付の町家が土蔵を従えて数棟残っていた。漁業技術は先進的で、長門国阿川浦(山口県)の漁民に鯛漁を伝授したり、周防国沖家室島(同)で生簀による養殖漁業を始めるなど先駆的な眼を持っていた。綿花の肥料となる干鰯を求めて、遠く房総半島沖まで出漁するなど、尼崎の漁業は全国に名高いものであった。


国道43号線の南側(西本町)の町並


訪問日:2005.09.03 TOP 町並INDEX