佐治の郷愁風景

兵庫県青垣町<商業町・宿場町> 地図 <丹波市>
 町並度 5 非俗化度 9 −峠下の宿場から市場町 製糸業の町へと発展を続けた−



古くからの町場・佐治の中心部には豪商の屋敷が今でも数棟威光を放っています。
 


 青垣町は兵庫県丹波地方西北端に位置し、西を遠坂峠を隔てて旧但馬国、南西を播州峠を介して旧播磨国に接する山間の町である。険しい峠を越えてたどり着くこの佐治の町には古くから峠下の宿が立地していた。「延喜式」に、駅馬八頭を持つ宿駅と記されている。
 物資の集うところとなり市場町としても栄えていった。現在も中市場・上市場という字が残る。但馬国域の生野や矢名瀬(現山東町)、天田郡域(現京都府域)などの近郊から播州、京都や大坂の商人を交え、物々交換から本格的な市場へと成長していった。古くは佐治荘と呼ばれたが、その後太閤検地後に荘・郷等の名を廃し新たに町場として指定されたのはこの周辺の氷上郡域では佐治と谷川(現山南町)のみであった。商人の往来が多く物資が集積することで、京大坂から移住するものもあったという。
 藩政時代は主に柏原藩域で、生野銀山からの上納銀の輸送路上の重要な拠点となっていたので、藩の取締りは厳しかったという。前に述べたように但馬側からは険しい峠越えがあるため、銀の輸送団は例外なくここで一泊し、継ぎ馬したという。




 


 妻入りの旧家が多くを占める丹波地方らしい町並風景です。
 
 

 
 そういう流通上大変な賑わいを見せたこの佐治の町だが、維新後は交通の要地の役割が薄れ、衰退した。しかしその後この町の基幹産業となった製糸業が、佐治の第二の隆盛期を迎えさせた。もともとこの一帯は、養蚕業が盛んで丹後縮緬の原料を供給する地であったが明治15年、氷上郡繭糸改良会社が興され、西洋の技術も導入されて操業を開始したのである。
 明治中期には10を超える工場を有し、女工が町に溢れた。佐治木綿というブランド名は全国的に知られたものとなったが、それも世界恐慌の影響などで衰微し今に至っている。 現在は鉄道にも見放され、重要な拠点だった雰囲気は全く感じられないほど静かな家並である。しかしそれでも、町の中心には大規模な町家が連続した景観が残っており、栄華の跡を感じることが出来る。これらは恐らく明治以降の製糸業関連の豪商宅だったのだろう。2階の立上りが高いことからも、藩政期の宿場・市場町に遡る家々は、ほとんど残っていないように思われた。
 丹波地方の特徴である妻入りの家々が多いのも特徴である。一階部分は多くで格子が取払われ、現代風になっているが、妻部を通りに面した姿は独特で、迫力があり一方で可憐な印象を受けた。


訪問日:2004.03.20 TOP 町並INDEX