青山町の郷愁風景

三重県青山町【商業町・宿場町】 地図 <伊賀市>
町並度 6 非俗化度 8  
−伊勢宮への参詣客を中心に街道の往来により発展した町−




青山町阿保の町並


 この青山町付近の平野を形成しているのは木津川とのことで、地図を見ると確かにこの川は上野盆地を北に流れ、京都府南部を北流して淀川に合流している。水系的に畿内とのつながりも深い地域だったと思われ、今でも近鉄電車を使えば1時間と少しで大阪の中心部に達することができ、名古屋より所要時間は短い。
 大和から伊勢へ、伊勢参詣者を中心に往来の多かった街道がここに通じていたため、他地域との文化的交流も多かった地域である。この初瀬街道は、大和よりこの地に達し、青山峠を越えて伊勢街道の六軒宿へ達するもので、都が飛鳥地方にあった遥か古代より伊勢神宮への通行路として利用されてきた。
 中世に掛けて阿保郷、阿保荘と呼ばれたこの町一帯は石清水八幡宮領であったが、江戸期に下ると津藩領となり、伊勢への往来の他、北方の上野城下へ向う街路の分岐点ともなっていたため、近隣の物資が集結し商業が大きく発達している。慶長13年に伊賀に入った藤堂氏は上野・名張・阿保の三ヶ町以外での商売を禁じ、阿保には伊賀地方を代表する酒ともなっている「若戎」など酒造業をはじめとして商家が林立し、江戸後期には伊賀地方では上野・名張に次いで三番目の町となっていた。明治以降は養蚕業など産業も盛んに行われていた。
 宿駅としても隣接する伊勢地宿ほどではなかったものの、交通の要衝として現在の関西本線が開通する明治後年まで伊勢神宮の参詣客を中心に賑った。
 国道422号線と旧初瀬街道の交差点付近に大柄な町家建築が数棟並んでいる。この付近が最も当時の雰囲気を残し、風情の感じられる一角である。他にも連続性は高いとはいえないが切妻平入、過半数は中二階の古い形式を取っていて、古い町並というには充分である。二階正面は出格子と虫籠窓の組合せとなっている例が目立ち、播磨地方南部などと共通する。
 街道から少し外れた位置にある料理旅館「たわらや」には、初瀬街道の旅人が残した伊勢講の木製看板が多数保存されているということだが、私はその存在を知らず残念であった。








旧初瀬街道沿いには商店に混って伝統的な様式の建物があちこちに残っている。
 
訪問日:2006.10.08 TOP 町並INDEX