青山・御着の街道風景

兵庫県姫路市<宿場町・街道集落> 地図(青山) 地図(御着)
 町並度 5 非俗化度 8 −山陽道に沿う街道集落・間宿−

姫路市内の旧山陽道は西部では丘陵地帯を経て夢前川を渡り、姫路城下を経て現在の高砂市域に至る。その道中で現在古い町並の姿を比較的残している町として、市域西部の青山と東部の御着に着目して紹介したい。

青山の町並


青山の町並 青山の町並


 青山は古くは播磨国飾西郡に属し、山陽道上では宿駅にも間宿にも指定されていなかったようだが、ここで美作を経て山陰方面に至る出雲街道が分岐しており、追分の地であった。
 旧山陽道は約4mの道幅で今でもその幅員を保持し、古い中二階の町家が幾つか残っている。東は夢前川で限られ、山陽道が現役の頃は橋が渡されていた時期と、徒歩渡りをしていた時期があったという。橋が流され渡渉を余儀なくされていたのだろうか。そのような時期には川止めになることも多かったことだろうから、ここが臨時の宿駅のような役割を果たしていたとも想像できる。
 御着の町は青山から姫路城下を挟んだ反対側にある。幕府からは正式な宿駅としては指定されていなかったが、本陣が設置され主に西国大名の東上の際に利用されたという。但し脇本陣はなかったため大通行時には適応できなかった。西の姫路札の辻まで1里6町、東の加古川宿まで2里34町のところにある間宿であった。
 播磨国飾東郡に所属し、室町頃には短期間であったが御着城も構えられていた政治の要地であった。中世初期には月に3度の市が立つほど栄えていた集落で、町の歴史は深い。
 道幅は普通車がやっとすれ違えるほどであるから当時のままであろう。山陽道の本宿ならもっと幅広い街路のはずである。そして両側の家々は青山より密度が濃く、旧家の現存度もやや高い。それらには袖壁や虫籠窓など典型的な意匠がそのまま残されるが、その外見からほとんどは明治以降のものと察せられる。
 新幹線や山陽本線をはじめ道路も国道やそのバイパスなど幾本もの近代交通路が通り、町の姿も随分と改変されただろうに、江戸期以前にも遡るような古い街道が原型を保っていることは奇蹟ともいえよう。ここで紹介したいずれの町並でも、家々は意識的に保存したような佇まいではない。そのことも稀少性を高めている。




 御着の町並 御着の町並



御着の町並


訪問日:2005.06.19 TOP 町並INDEX