新居の郷愁風景

静岡県新居町<宿場町> 地図 <湖西市>
 
町並度 4  非俗化度 6   −関所を構えた東海道宿場町−



 新居町は東海道の宿駅が置かれ、東の舞坂宿、西の白須賀宿へそれぞれ6kmほどのところにあった。本陣3を持ち大名行列等にも対応したほか、旅籠39軒を有していた。史跡として公開される関所跡から西に向かうと泉町の桝形から南に直角に折れて中町、高見町、西町と続いていた。
新居の町並(紀伊国屋資料館)




桝形より南の旧東海道沿いの町並 俵町小路の旧小松楼
 

 関所の管轄により、元禄15年から三河吉田藩領として幕末を迎えた。新居関所は宝永4(1707)年の地震被害を受けて現在の地に移転したもので、現在も史跡として訪れる人も多い。宿場町の東端に位置し、当時は浜名湖に面し周囲には舟蔵もあったという。
 旧東海道は歩道が整備され近代的な道路であり、辛うじて伝統的な姿を残す家屋が散見されるといった状態で、宿場町時代を感じ取ることは難しい。しかしそんな一角に旧旅籠の一つが紀伊国屋資料館として公開されている。中にあった資料を見ると、新居の町並は東海道沿いだけではなく裏通りにも大きく面的に展開しているのが特徴で、宿場町に一般に見られる町並とは異なるものであった。小路(しょうな)と呼ばれる路地が碁盤目状に巡り、町家が建ち並んでいたという。
 その界隈に足を踏み入れてみると街道沿いよりこちらに古い町並的雰囲気が濃く感じられるようであった。小路の中には、「船町往還」「俵町往還」などと名付けられた路地もあり、商家や店舗が密集していたという。明治になり宿場としての機能が薄らぐと、この界隈は遊興の地の様相を呈し始めたと云い、最盛期には置屋11軒、50人以上の芸者が居たという。浜名湖や遠州灘に近く漁業や養鰻、製糸業なども盛んだったことから、それらの業者の利用も多かったといわれている。
 俵町往還には小松楼と呼ばれたもと置屋の建物があり、登録有形文化財として定期的に公開もされている。この建物が残っていることは新居宿の町並的価値に大きな厚みが加わるものになろう。








旧東海道の南側から東側には小路が碁盤目状に交わる町並が面的に広がっており 伝統的な家並が散見される


訪問日:2019.11.03 TOP 町並INDEX