荒砥の郷愁風景

山形県白鷹町<在郷町> 地図
 
町並度 4 非俗化度 8  −最上川水運の要地−













荒砥の町並


 
荒砥は白鷹町の中心集落で、最上川沿いに細長く開ける長井盆地の北端に位置するところである。
 最上川左岸の小高い台地上に旧市街が展開し、奥羽本線の赤湯から分岐する旧国鉄長井線(現山形鉄道)がここを終点としている。
 最上川を利用しての物流は古くから盛んに行われ、関ヶ原の役後に酒田を統治することになった最上氏によって、河口部に発達した商港酒田と上流域との流通の改善の為に最上川の河道を整備した。町内には岩礁があり船の通行が困難な箇所があったが、京都の豪商が私費で改修を行ったといわれている。
 荒砥には荒砥河岸と呼ばれる船着場があり、また藩の陣屋が置かれるなど重要な港だった。最上川を遡行する商船は幕府の管理下におかれ、年貢米をはじめ名産だった紅花や大豆、小豆、煙草、蝋、漆、菜種などが酒田港を経由し、上方に運ばれた、反対に生活物資などが運び込まれた。持ち込まれたのは物資だけではなく、例えば言葉なども影響を受け、現在も新潟から北の沿岸部を中心に、上方的な表現が残っているとされるのもその名残だとされる。
 現在、国道の荒砥交差点の北東、荒砥駅の東側付近に伝統的な町並が残る。かつては密度濃いものがあったはずだが、伝統的建物はやや散見の域を出ない。ただ、立派な妻入りの町家建築、所に似合わない邸型の厳かな建物など、質的には最上川水運の恩恵を得た残影が色濃く感じられるものであった。

 

訪問日:2015.09.21 TOP 町並INDEX