有松の郷愁風景

名古屋市緑区<産業町・宿場町> 地図
 
町並度 8 非俗化度 5  −郷土産業と防火対策が生み出した豪壮な町並−





 有松の商家の多くは主屋に並び土蔵を構えています。いかにも豪商のたたずまいです。  代表的な旧家、屋号井桁屋の服部家は本卯建を備えた豪壮な構えです。




 旧東海道は緩やかにカーブを描き、家並が視野一杯に広がり見応えがあります。  中央の縦長の建物は有松山車会館。からくり人形を載せた山車が練り歩く祭礼が秋に行われます。




 町の西端付近にて  長屋門を従え格式を感じさせる竹田家。

 
 

 有松は名古屋市域の南東部、現在では市内に編入されているが、もと尾張国知多郡に属し、東海道に面する町である。耕地面積も狭い寒村だったが、鳴海宿と知立(池鯉鮒)宿の間宿として茶屋集落が設けられたのが町の始まりであった。宿場としての機能もさることながら、商工業がこの町の主要な地位を占めた。中でも、移住者であった竹田庄九郎によって伝来した絞り染めが一大産業として発展し、以後名古屋藩の保護もあり、有松絞として目覚しい発展を示した。街道沿いには商家が連続し、大規模なものは政治的指導の権限を持つほどだったという。
 町並は名鉄有松駅の南、線路と国道1号線に挟まれた旧東海道の道筋1km弱に続いている。街路は緩やかにカーブし、遠見遮断の目的もあったようで旧街道らしい雰囲気である。この町並を歩くと、今でも当時の豪商の名残が家々に強く感じられる。名残ではない、今でも絞り染が販売されている商店も多く、古い構えそのままに伝統産業を頑なに守っている。
 家々は非常に重厚で、迫力ある印象を感じる。迫力あるのはほとんどが塗込め造りであるからだろう。一階に出格子をはめ、二階を白または黒漆喰の塗込めとして虫籠窓をつけ、豪快な本卯建を備えた旧家もある。また多くは土蔵を従えており、それらも前面が黒または白の漆喰で塗込められている。これは、天明4(1784)年の大火で、各商家が防火構造の家で復興を図ったからだ。大火を契機に更新された頑丈な家々だからこそ、現在まで朽ちることなく残る結果となった。しかし、それだけではこの都市部にこれだけの町並は残らない。伝統産業を通してこの町に誇りを持つ住民の心意気あってのことだろう。
 有松の住民たちは昭和44(1969)年より町並の保存運動を始め、現在は名古屋市の町並保存地区に指定されている。このため多くの旧家は保存の手が加えられており、綺麗になっているが、それが目に余るほどではなく、絞りの店以外は観光地として土産物屋などの施設もなく、国の重要伝統的建造物群保存地区に匹敵する町並である。
 


訪問日:2003.05.03 TOP 町並INDEX