厚狭の郷愁風景

山口県山陽町<宿場町・市場町> 地図 <小野田市>
 町並度 4 非俗化度 9  −山陰方面への街道が分岐した追分の宿−




 山口県西部の瀬戸内海側に位置している山陽町は、かつて厚狭市という名称で市が置かれ、かつ山陽道の宿場であったところである。現在でもJR美祢線の分岐駅であるように、山陰路への出発点でもあった。

厚狭宿の町並





 左は秀吉の宿舎としても使われた旧枝村家。豪壮な屋根が印象的です。 厚狭宿の町並




 活気はあまり感じられませんが建物はなかなかどっしりして市で栄えた名残のようなものを感じます。

 宿場街を外れたところにある古い醤油屋☆

 


 
 厚狭宿は大名や貴人の宿泊する施設のない、いわゆる半宿であったが、栄えようは本宿と変わりないものであった。とある昔の紀行文には、「厚狭川を渡るに板の仮橋なり。左に水車巡れり、厚狭市の駅はいささかにぎわしきさまなり。銭の形なるものを軒につりて、うりぜにありとかけるなど、東海道の面影あり」と記されている。
 旧宿駅の佇まいは現在の駅前から東側、厚狭川を挟んで伸びている。川は当時地元では鴨川と呼ばれ、現在かかる古びたコンクリート製の橋も鴨橋という。京都を模したらしい。
 この橋の袂に「左 はぶ 下の関 右 あつ」という小さな道標が残り、ここから山陰方面への枝道が分岐していたことを伝える。そしてその交通の要衝であったことから、物資がここに集積し市が開かれるようになったのだろう。厚狭市という名はそれを示している。
 現在はそのまま商店街となっているため、古い伝統的な建物の家はそれほど多くは残っていない。多くは明治以降の建物のようで、2階部の立上りが高かった。しかしそれでも鴨橋の東にある大庄屋だった枝村家は、秀吉の朝鮮出兵の時に宿舎となったといわれ、今でも寺の本堂を思わせる堂々とした屋根が眼をひく。現在はここも店舗として利用されていた。
 歩いているとどこか懐かしさの感じられる不思議な町である。

 
 

※☆以外の画像は2003年12月再取材時のものです。


訪問日:2002.03.23
2003.12再取材
TOP 町並INDEX