明木・佐々並の街道風景

山口県旭村<街道集落> 地図(明木)地図(佐々並)<萩市>
 町並度 5 非俗化度 8  −多くの殿様の通った萩往還の町−

明木の町並 明木の町並




明木の町並 佐々並の町並




佐々並の町並

  佐々並の町並

 
 旭村は萩市の南に接し、萩城下町と山陽側の港町三田尻(現在の防府市)とを結ぶ「お成り道」、萩往還が通っていた。その中でも町の北部で村役場のある明木(あきらぎ)、町域南部の佐々並は御茶屋(本陣)、御客屋(公用の休憩施設)なども存在した屈指の街道集落であった。
 参勤交代の道となる前は山間の小さな農村集落であり、宿駅の経営は負担が大き過ぎるとして、運営費は藩が負担し、経理は郡奉行所が監督したという。それでも、安政年間(19世紀中期)、明木では戸数73軒の内訳が商人20、宿人夫馬持47、佐々並が62軒で商人15、宿人夫馬持47であった。平生は萩に近い明木では川運に恵まれ木材・薪炭が、佐々並では木炭が主な換金物で、それらによる収入とで零細な宿場は維持されていたようである。幕末・維新の揺動期を肌身で触れ、文久3(1863)年藩庁が山口に移った後はその渦に巻き込まれていった。藩政府と諸隊が衝突し、度々その舞台となった。
 明木の家並はそれらの戦火と明治24年の大火で失われ、それ以後に再建されたものである。それでも厨子2階の古い様式を保つ家々が散在しており、面影を偲ぶことができる。また佐々並は、町の外れに一里塚が残り、虫籠窓の残る旧家、今はトタンで覆われているが茅葺であっただろう民家もあり、それらの構えも山間集落にしては大きい。また両集落とも、屋根には軒並赤瓦を葺いており、石見地方を彷彿とさせる町並景観となっている。萩市内では目立たないこの赤瓦は、何処から伝播したものなのだろうか。
 地元では歴史の道萩往還をアピールしており、公園や道の駅の設置、両集落の中間にあった難所一升谷の石畳の整備などを行っている。萩市内だけでなく、往還の道を辿ってみるのも趣深いところである。
 
 


訪問日:2002.11.23 TOP 町並INDEX