足守の郷愁風景

岡山市足守<陣屋町> 地図
 
町並度 7 非俗化度 4 −城下町の風格も備えた豪壮な町家群−


 足守は行政区画上岡山市の一部となっているが、位置的には総社市に近く市内中心部からはかなり離れている。平野部と吉備高原との境の谷口に位置しており、近くには川が流れ水利にも恵まれ、古くから集落が立地するにふさわしいところのようだ。
 1601年姫路城主木下家定の領地となり、近隣を統治し始めたのが由来であるが、それ以前にも平安時代には荘園が形成されるなど、歴史の古いところである。
足守の町並




足守の町並




足守の町並




木下家の長屋門 武家地区の北端にある日本庭園・近水園

※画像は全て2005年5月再訪問時撮影のものです。

          

 木下氏は2万5千石を与えられてこの山裾に陣屋を構え、足守川に沿った南側の平地に東西に町人を配した。その中間に武家屋敷を従えていた。足守藩は小藩ではあったが、その統治は江戸末期まで継続したのである。城を築かず陣屋町のままであったが、現存するその町の風格は城下町を思わせるほどのものがある。 
 町並は北側の武家地区と南の町家地区に分かれ、武家地区には木下家長屋門などの遺構が見られるが、武家屋敷等は残っておらず、現存度はそれほど高くない。一般に藩政期の武家屋敷が完全な形で残ることはほとんどない。むしろこの町を象徴付けるのは町家地区で、平入りで本瓦を葺き、2階正面部にまで施されたなまこ壁、さまざまな形をした虫籠窓など、華麗な繁栄を誇ったことを示している。とりわけ代々続く商屋の一つ藤田邸は醤油醸造業で豪をなしひときわ威厳を放っており、内部には帳場、箱階段がみられ、工場の作業の様子も再現される。
 この町並を見ると当時から商業が大層さかんだったと思わせるが、当地では商業よりむしろ農業の方が盛んで、また山地から平地に出る位置にあることから山間部の物資の集散地となった程度で、商業の大きな発展はそれほどでもなかった。それでもこれだけの家々が残っているということは、吉備路の北端であり近年の都市化、住宅地化がほとんど影響しなかったこと、そして何よりこの町に住む方々の心意気の高さによるものであろう。
 町並の一角にある「足守プラザ」では様々な催し物が行われており、町並景観を核とした地元の意識を喚起しているようである。また町の北はずれに木下家の庭園である近水園があり、町並探訪に一つのアクセントを与えてくれる。

 

訪問日:1999.12.12,2005.05.04再取材 TOP 町並INDEX