高森の郷愁風景

熊本県高森町<城下町・在郷町> 地図 
 
町並度 5 非俗化度 7 −阿蘇南郷谷東部の拠点−




商店・旅館など賑わいを感じさせる高森の町並
 
 
 阿蘇の外輪山内側の平野部は大きく南北に分れて展開しており、南側は南郷谷と呼ばれ北側よりは比較的観光地化の度合いが低く牧歌的な風景が見られる。
 谷間の東端に位置する高森町は東に山を越えると豊後竹田や日向高千穂方面へ向い、それらの地との中継点としても位置づけられている。
 中世には阿蘇家統治のもと、高森城が構えられていた。城地は外輪山の一角にあり、三方を山地に囲まれた当地は要害の地として最適な地形を呈しており、国境警備を司った。江戸期に熊本藩領となり加藤清正、次いで細川忠利の支配を受けた。細川氏の折に手永制度という同氏独自の行政制が整備され、その下部組織の会所が高森に置かれた。その後現在の町域東部にある津留に移されたが、以後も高森は在町として商業が発達した。後背山地から平野部に出る要の位置にあり、物資が集まりやすかったからであろう。
 市街中心付近の地形は西に向い緩やかな傾斜地となっている。南阿蘇鉄道の駅前付近は観光地的風景も見られるが、その南側の東西の街路は古くからの市街地らしい佇まいが見られる。中心にある山村酒造は宝暦12(1762)年創業という老舗で、阿蘇山麓の良質な地下水を利用して長年醸造を続けており、その構えも土蔵造りの堂々たるものだ。また付近には旅館の看板を掲げた古い建物も目立ち、営業を止められているものもあるようだが古くから交通の要衝であることを示しているようだ。
 四つ辻から南側の街路は商店街で、呉服店、醤油醸造などの看板が見られ、営業中の店舗も見られた。
 




宝暦12年創業の山村酒造








   
訪問日:2023.09.24 TOP 町並INDEX