熱海の郷愁風景

静岡県熱海市<温泉町(別荘地)> 地図
 
町並度 3 非俗化度 6 −歴史深い温泉保養地の別荘街−





相模湾を見下ろす斜面に石畳の道の巡る古くからの別荘街が展開する



 熱海の名を知らない人はなかろう。温泉地としての歴史は早くも鎌倉末期頃から湯治目的の客の訪れがあり、その後湯治療養のための宿泊施設も建てられるようになってきた。藩政期になると、江戸からも近いこともあり重要な人物の利用も多かった。徳川家康の湯治利用もあったという。
 熱海は海岸に面していながらも古い時代から港町や漁村としての機能はなく、それらは現在市域南部の網代が司っていて、熱海自身は生粋の温泉町としての歴史だけがある。こうした町も珍しいといえる。





 幕末に数箇所が国際港として開港され、外国人の流入を見るようになると、熱海や網代村には外交官などの逗留も多くなり、国際観光保養都市の基盤が形作られた。それ以後、明治政府の高官などの訪れも絶えず、軍人や実業家、文人などの要人が滞在し、また別荘が次々と建設された。閣僚会議がこの熱海で行われることもあった。しかしまだ当時は温泉というと医療の色が濃く、明治17年に完成した吸気館という施設はそれを象徴している。大臣岩倉具視が病養のため訪れた際、古くからの当時施設である大湯を見て、ここを療養に活用しない手は無いと考え建設された、我国初の温泉医療施設とされる。
 当時、客は小田原から駕籠に乗って熱海に入っていたが、後に人車鉄道、そして軽便鉄道、さらに大正に入って国鉄熱海線が開通すると、一般の人々にも多く利用されるようになった。それは文人達に熱海を題材にした作品が多く登場し、知名度が高まったことも大きい。そして伊豆半島頸部を貫く丹那トンネルが開通し、西日本方面からの利便性も増したことにより、一大温泉地として急速に発達することになった。
 現在温泉地そのものは完全に近代化されている。むしろ歴史を物語るのは周辺の別荘地だろう。ここで紹介する市街地東部の海光町付近は、中でも色濃い地区である。相模湾を見下ろす斜面地に、企業及び一般人を含んだと思われる古くからの敷地割の中で、塀に囲まれ和風、洋風の別荘が点在している。歴史を最も感じさせるのは建物そのものよりも、別荘地一帯に敷詰められている石畳であった。歴史を刻まれた石畳は表面が磨耗して光沢があり、また目地部が草むしたりして、長い年月を感じさせる。そして現在の道路規格に適合しているはずはなく、一部では斜面に強引に道をつけたような曲線上の急坂も見られる。車で通るのも勇気が要るほどの道である。そしてくすんだ石垣。城址のそれを思わせた。
 石畳の道は環状になっていて別荘群を結んではいるものの、一般道に抜けられない袋小路になっているためたまたま通り掛かることもなく、まったくひっそりとした別荘街だ。古い町並というのとは少し趣が異なるが、熱海の歴史を感じられる数少ない地区として紹介したい。
 

訪問日:2007.05.27 TOP 町並INDEX