左沢の郷愁風景

山形県大江町 【城下町・川港町】 地図
 
町並度 5 非俗化度 7  −庄内松山藩・米沢藩の政治物流の拠点−



 

 大江町は山形盆地の北西部、最上川の流域にあり左沢線により山形とが結ばれている。最上川左岸に町の中心・左沢
(あてらざわ)の町並が開ける。
 この辺りで最上川は北流から南東流に急激に流路を変え、町の南で支流月布川が合流する。左沢の地名も最上川の左方を指してあちらの沢と呼んだことが由来の一つとされており、寒河江方面から見ると確かに納得できる位置にある。
 

 

 左沢(旧原町)の町並
 
 中世には寒河江荘に含まれ、大江氏が支配し城も構えられていた。江戸に入ると左沢藩が成立、酒井直次が町の西側台地に新たに築城したが、正保4(1647)年に直次の兄であった庄内藩主・忠勝が死去すると、子の忠恒が分家して支藩・松山藩を成立させた。この時から、左沢は同藩の飛地となり、代官所が置かれた。町割を行い城下町を整備され、今見られる町の基礎はこの時に造られた。代官所の近くには河岸が置かれ、領内の物資の揚げ降ろしが行われた。
 また、左沢には米沢藩の陣屋も置かれた。この付近から荒砥(現白鷹町)にかけての最上川は幅が狭まり急流多き難所が連なるため、米沢藩は河床を開削して船の通りを良くし、左沢の河岸を外港として利用したのである。陣屋には米・塩が貯蔵され、酒田から上ってきた船からここで小型船に積み替えられ米沢藩領に向った。
 このように政治と物流の拠点であった左沢は町が発展し、毎月4・9の日に定期市が開かれ、8月には3日間の馬市も開催された。造り酒屋など各種商工業も発達した。
 左沢の町並は、「最上川の流通往来及び左沢の町場の景観」として国選定の重要文化的景観となっている。町の随所には旧町名を示す石柱があり、また数箇所に案内板が立てられるなど町並や建物の歴史的な重要さを充分認識されている。最上川に並行する原町には立派な門や土塀などを持つ見応えのある商家が数棟残り、左沢を象徴する町並景観と言えよう。立派な鬼瓦のある土蔵などもあり、河岸の賑わいがそのまま伝わってくるようである。
 内町・横町とある辺りは各種商店が建ち並んださまが伺える。多くは妻入りの形を取り、裏手には土蔵を従えたものが多い。中には外観に手を加えたであろう建物も見られたが、原形は良く保たれており不自然さはない。
 古い町並として見ても保存に値するに十分なものがあり、今後にも注目したいところだ。
 

 

 左沢(旧内町・横町)の町並
 

 


訪問日:2024.04.14 TOP 町並INDEX