鮎喰の郷愁風景

徳島市鮎喰町【商業町・街道集落】 地図
 
町並度 5 非俗化度 7 −伊予街道沿いに後発的に町が発達した−




鮎喰町一丁目〜二丁目の町並
 

 徳島市西部の鮎喰地区は、かつて付近の川で鮎が多く獲れ、住民がこれを食していたことに町名が由来するという。徳島城下と伊予を結ぶ街道が通り、江戸期には街村が形成された。但し宿場町として藩政時代から各種商業が発達し、旅籠が立地してはおらず、町としての繁栄は明治に入ってからであった。
 吉野川に合する支流沿いの低地にあることから洪水の多い所で、また鮎喰川の渡渉は街道上の難所であった。明治初年にはここに有料橋が架けられ、その後大正時代には県により架けかえが行われ無料化されている。
 この橋の東側の街道筋に町が発達していった。呉服商・肥料穀物商をはじめ今でも営業を続ける酒造業など数多くの商業が立地し、織物や足袋を製造する工場もあった。徳島の市街地に劣らぬ賑わいを示していた。
 JR徳島本線と国道192号線に挟まれた位置に旧伊予街道が東西に伸びている。乗用車が悠々とすれ違えるほどの道幅を持ち、街道沿いには古い町並が残されていた。一部には間口の広い切妻平入りの町家建築もある。いずれも二階の立上りが高く、明治以降に建てられたことを表していた。
 旧街道は現在でも一定の交通量があり、生活道として利用されており、また徳島市街地に近いこともあって古い家屋も空家になっている例は少なく、活気の感じられる町並であった。
 
 




庄町四丁目〜五丁目の町並



訪問日:2010.09.19 TOP 町並INDEX