阿波橘の郷愁風景

徳島県阿南市【港町・漁村】 地図 
 町並度 4 非俗化度 8 −江戸期は漁村 明治には商港として発達−







 阿南市橘町は市域の南部、太平洋に面しているが南から南東を半島に囲まれているため外洋からの荒波が緩和され、港を設けるに相応しい地形を呈している。
 江戸期は徳島藩領で、有事や重要な政治的局面で徴用される水夫を意味する加子が居住しており、例を挙げると豊臣秀吉の朝鮮侵略につごう80人以上、島原の乱の際にも50人の加子が動員されている。
 漁村としての歴史も古く、18世紀末から19世紀初頭に掛けて編纂された地誌書『阿波志』によると当地の特産物として多くの魚介類が紹介されている。
 明治に入ると港町としても発達し、大阪からの汽船が明治29年に就航すると、橘浦は県南の物資の集散地となった。汽船・商船の入港は月に700艘を数えたといわれる。それを受け商工業が発達し、商人は直接京阪神と取引をした。氷の貯蔵所が整備され、水揚げされた魚介類が新鮮なまま取引できるようになったことも大きかった。明治43年の記録では船舶277を数え、うち西洋型船舶8、50石以上の和船18であった。
 牟岐線の駅が設置されているが、古くからの町は南西に1km外れた位置にある。海岸部は今や大きく埋立てられ工場地帯となっているため港町・漁村の雰囲気は淡い。国道より一本山側には往時の主要道が残り、平入りの商家建築が所々残っている。古い町並としての連続性は低いものの、港を基盤に各種商業が発達した面影が感じられる。
 一部には部には洋風の建物、また旅館の看板を掲げた旧家もあった。








 

訪問日:2017.12.02 TOP 町並INDEX