市場の郷愁風景

徳島県市場町<商業町> 地図  <阿波市>
 
町並度 3 非俗化度 9  −讃岐との往来もあり定期的に市立てされ賑わった−
 


 市場町は吉野川中流左岸、本流から2kmほど離れた扇状地上に市街地が開けている。
 市場の地名はむろん市が開かれたことに由来する。江戸初期には扇状地一帯は洪水等で荒れ地となっていたが、藩主蜂須賀氏により町の再建が図られた。税金を免じ月三回の市を立てるから自由に移住せよというものであり、その政策により戸数は享保3(1718)の85戸から明和6(1769)には121戸に増加している。
 
現在の町の中心の町筋地区は、かつて撫養街道と讃岐往来が交差するところでもあり、讃岐の米や魚、塩などが運び込まれるところであった。市は常に賑やかで、あらゆる商品が各方面に取引された。当地では藍や煙草などが盛んに栽培され、養蚕も行われるなど産業も盛んだったこともあって、町場が大きく発達した。養蚕が多忙な時には讃岐からの出稼ぎにより対応するほどであったという。
 明治以降は養蚕とともに煙草、甘蔗(砂糖の原料)などが産業作物として栽培された。
 町筋地区は現在も東西・南北の道路が直交する位置にある。後者は北上すると阿讃境界の山地を越える道で、これが旧讃岐往来なのだろう。この交差点付近が現在も町の中心である。しかし、伝統的な建物は一部しか残っておらず、古い町並と呼ぶにはやや厳しい状態であった。鉄道が吉野川右岸に開通し、物流の中心は早期にそちらに移ってしまったからだろうか。しかしその中にあって、漆喰塀を巡らせたかつての豪商を思わせる邸宅、土蔵を従えた旧家などが見え、また街道沿いから離れても、豪農を思わせるような本瓦・入母屋屋根を持つ旧家が散見されたのが印象的であった。



 
 市場(町筋)の町並  
 





 



 



 
   周辺には豪農を思わせる邸宅も見られる 


訪問日:2020.11.22 TOP 町並INDEX