綾部の郷愁風景

京都府綾部市【城下町・産業町】 地図
 
町並度 5 非俗化度 7   −江戸期は城下町 明治以降は繊維の町として発達-
 


 


 
本町の町並 
 
 福知山とともに丹波地方の中心的な町である綾部は古くは由良川の水運などにより発達、現在も舞鶴・若狭方面への入口に当り、また鉄道面でも山陰本線から舞鶴線が分岐しており、交通・物流の要衝である。
 寛永11(1634)年には志摩鳥羽から九鬼氏が2万石で綾部に入り綾部藩が成立、そのまま江戸期を通じて綾部藩領であった。九鬼氏は、現在の綾部駅南側付近にあたる山裾の一帯に城下町を建設し、丘上に城を構えた。城地から坂下の本町まで田町・西町を配置、本町通りは東西にのび西新町、広小路といった町を以後に拡大させた。その町名は今でも多くが残り、城下時代を偲ばせる。江戸後期の天保年間には278軒の家数で構成されたと記録されている。
 この町域を歩くと現在も町並としての面影が感じられ、漆喰に塗込められた商家風の建物が商店街に成りながらも残っている。象徴的なのが「懐古亭」という名で公開されている豪商・屋号扇屋の建物だ。その財力で綾部藩の財政を大きく助けたとされ、現在も見応えのある主屋、妻部には水切り瓦のような装飾が見え、奥行深く多くの付属棟を有する豪邸である。その他にも連続した個所こそ少ないものの古い構えのまま営業を続けている小売店などもあり、伝統的な町並・建物を踏襲した姿が感じられる。また本町通から分岐する田町にも古い町並が見られ、明治期創業の老舗旅館「小西屋」が現役で営業を続けている。
 明治になると綾部は既に盛んになっていた養蚕業を基盤に、近代的な器械製糸が取込まれ、同25年からは熟達した技術者の巡回によって養蚕から製糸までの技術が飛躍的に向上した。29年には郡是製糸株式会社として、本格的な企業組織での製紙業が興った。繊維の町綾部としてその後ゆるぎない地位を築き、現在もグンゼと名を変えて町の代表的企業となっている。敷地の一角には洋風工場建築などが並び、古い町並を形成している。
 

 
 本町の扇屋懐古亭 


 


 
本町の町並
 



 
田町の町並 右は現役の旅館 
 

 

 郡是の建物

 
訪問日:2023.10.22 TOP 町並INDEX