畦町の街道風景

福岡県福間町<宿場町> 地図 <福津市>
町並度 4 非俗化度 8 −都市開発から外れた位置にあることが幸いした− 
 

 畦町は唐津街道の宿場町であったところである。
 長崎街道の木屋ノ瀬宿から分岐し、遠賀川の左岸に取付き直方から丘陵地帯を縫っていたこの街道は筑前街道とも呼ばれ、途中に城下町福岡を擁していたこともあり重要な街道であった。
 
 畦町の町並 この地方としては珍しい虫籠窓・袖うだつのある旧家
 

 当初はここは宿駅として指定されていなかったが、赤間宿と青柳宿との間がやや長いということもありこの畦町宿が追加された。それまでここは全く人跡稀なところであったので、鳥巣村など近隣の諸村から移住させ、街村が造成されたのだという。
 ここは間の宿としての扱いであったため、本格的な宿泊施設はなく庄屋宅などを利用した休息の地として利用されていた。しかし高札や問屋場などが設けられ宿駅らしい構えが形成されており、福岡藩の奨励により蝋燭の原料となった櫨(はぜ)の実や、綿、楮などが付近で栽培され、またここに集められ販売されていった。人の往来が多いこともありそれらの商売を足掛りに酒造業、紺屋などの商家も台頭していき、町場としてもかなりの賑わいを呈していたという。
 現在ではまったく想像も出来ないことだ。家並は歯抜け状であり、所々に残る家々は伝統的な構えを残すが、旅人が頻りに行交っていただろう当時の風景は活きた形では残っていない。明治23年に後の国鉄鹿児島本線となる九州鉄道が遠く離れた福間町を通ることとなると、街道は機能を失い畦町は町場としての役割も揺らいでしまった。
 虫籠窓を持ち両端に袖うだつを構えた見応えある町家がこの町並を象徴しているが、あとは数棟の町家建築の他、茅葺に由来するらしい妻入りのトタンに被われた民家が特徴的な程度で、やがては時代に埋もれてしまいそうな印象であった。
 今でも地名の通り、周囲には都市開発とは無縁の田園ばかりが広がっている。

 








街道沿いにやや疎らに町家建築・もと萱葺と思われるトタンに被われた民家が連なっている


訪問日:2008.08.15 TOP 町並INDEX