安土の郷愁風景

滋賀県安土町<城下町> 地図
 
町並度 5 非俗化度 6 −短期間ではあったが信長の城下町だった−





 天正4(1576)年に織田信長はこの地に城を築き、現在でも城址には訪ねる者が絶えない。安土というと安土城が対句のように人々にイメージされることだろう。
 
 安土の町並




 
 

 信長は城下町を整備し、自ら定めた楽市楽座制により城下の町人には税が免除され、また商人はかならずここを通るよう義務付けられたりもして、城下町は潤った。しかしここに城が構えられた時期というのは知名度の割に非常に短く、同10年(1582)年には城下町としての地位を失った。この年、信長が本能寺で没してから秀次がこの地を継いだのだが、本拠地を八幡(近江八幡)に定めてしまい、城下の商人ともどもそこに移ってしまった。
 東海道本線の駅が設けられているが、駅前は京阪圏の外縁部とはいいながらも鄙びた雰囲気が漂う。城は駅から見て北東の小高い安土山に設けられていたが、城下町はその麓に開け、駅からも徒歩圏内だ。
 大きくまとまっては残って居ないものの、平入り妻入り混在の古い町並があった。駅前を200mほど西に進んだ辻を中心に、四方に伝統的な家屋が見られ、一部は東海道本線の線路を跨いで残る。城址の知名度に比べると、家々は全く手を加えられた様子は無く、非常に地味な印象であった。それは京阪神への通勤圏からやや外れかけた位置にあることから、開発がまだそれほど大きく進んでいないこともあるのだろう。横路地に入っても広い庭を有した邸宅なども散見され、面的に歩く価値のある町並である。
 町割は城下町時代と大きく変わっていない様子で、城下町として紹介するが、家々の姿は城なきあとの在郷商業町としての姿だろう。一部に農村集落のようなのどかさを感じさせる町並であった。しかし、古い家並の見られるメインの街路の北外れに、石垣に縁取られた水路が見られる。信長の時代、ここはすぐ近くまで琵琶湖が迫っていて、城下に運河を引入れ商船の発着を促していたのだ。今は周囲に新しい住宅が建ち風情は余り感じられないものの、短期間に繁華な城下町を造成した信長の非凡な能力を見る思いがする。






琵琶湖につながっていた信長時代の運河が一部整備されている(常浜)


訪問日:2007.07.16 TOP 町並INDEX