大和盆地には環濠集落が多数あり、その歴史は中世に遡るとされる。散村形式の農村集落が自衛を目的に塊村化し、その周囲に濠を築いたのがその起源とされている。その中でも代表的な番条と稗田を訪ねてみた。 |
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番条の町並 | |
番条の町並 | |
番条に残る環濠の一部 |
番条の造り酒屋付近の町並 |
両集落とも大和郡山の市街地から南に外れ、周囲は田園地帯であることからその存在が際立っている。特に稗田集落では周囲が完全に濠に囲まれた集落の形態がほぼ完全に残されており、案内板によると鬼門の方向に七曲りと呼ばれる屈曲部を設けた形は、中国の漢の時代の長安故宮を模倣したものともいわれているそうである。 一方で番条集落は、室町時代に周囲を支配していた番条氏の居館を中心として発達した集落といわれている。佐保川とその支流菩提仙川が合流する辺りにある集落で、周囲はクリーク地帯でとりわけ水分の多い地区である。 江戸期以降は灌漑用水として利用されていた程度であり、近年になってほとんどの環濠は埋立てられ、都市化などによりその輪郭も曖昧になっていった中で、この二つの集落は大変貴重なものとして注目されている。 集落内は農村集落的な風景が展開しているが、構えは立派で農家としても裕福な家々が多かったのだろう。長屋門風の厳かな門を持つ家もあり、土蔵も数多く町並景観に貢献している。ほとんどが車の通行が困難な細い路地で占められており、見通しの悪い屈曲や袋小路が多いことからも集落としての自衛の目的があったことが推察できる。 特に番条集落では中央に立派な造り酒屋があることなどから、古い町並としても優れた景観を残していた。塀に囲まれた屋敷型の旧家や、板壁の土蔵などに縁取られた小路は規格化された集合住宅団地などとは対蹠的な閉鎖空間を生み出し、散策路としても非常に味のある風景をかもし出していた。 |
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稗田の環濠風景 | 稗田の町並 |
稗田の町並 |
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稗田では住宅の敷地から濠に降りる階段を持つ旧家も見られる |
訪問日:2010.03.28 | TOP | 町並INDEX |
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