西城の郷愁風景

広島県西城町<産業町> 地図 <庄原市>
 
町並度 4 非俗化度 9 −くろがねどころと呼ばれた鉄の町−


 

西城の町並。西城川に沿い細長く連なっています。




 西城川に面する家並はそれでもまだ古い姿を残しています。石垣だったのでしょうがコンクリート護岸になってしまっていて残念。




 川に面した民家の一部ではこのような川面に直接降りられる構造が残っています。石積はかつての石垣か。

 県の北東部、中国山地の只中にある西城町は鳥取・島根県境にまで及ぶ広い面積を持つ町である。古代より、この地域は和鉄生産の盛んだった地で、奴可郡に属していた9世紀頃、郡の「調」が絹糸から鍬鉄に変更されていて、この頃には既に製鉄業が興っていたものと考えられている。近世の「芸藩通志」でも「当郡第一の産業、諸民これにより生活するもの甚多し」と記され、鈩(たたら)製鉄が主産業であった。関連する砂鉄採取、木炭製造、鍛冶など各分野の職人も多数あり、東隣の東城町とならび「くろがねどころ」と呼ばれていた。
 江戸初期の寛永年間には町としての格が与えられ、庄屋や町年寄が置かれている。奴可郡の鉄の集散地であり、後期には輸送のための牛馬市なども催された。また町の中心に備中新見路が縦断していたことからその宿駅としても機能し、伝馬10匹が常備されていた。
 鉄山は廃藩置県後も存続され、官営広島鉱山として明治中期には全国一の生産額だった。しかし八幡製鉄所などの大手製鉄会社の台頭などにより和鉄産業が衰退し、大正10年に閉山となっている。
 以後は代替業として和牛飼育などがなされてきたが、以前の繁栄には全く及ぶには至らなかった。戦後は急速な過疎化が進んで、今では山間の一寒村のような雰囲気になっている。
 現在町を歩いても余り活気は感じられない。裏側を西城川に沿い建ち並ぶ家々は
、所々塗屋造りなどの伝統的な建物も散見されるが、ほとんどが最近になって建替えられており、古さを感じさせる建物であっても大正から昭和初期の建築であろうと察せられる。
 この町の古い姿の痕跡はむしろ、西城川に面した側の家の裏手にある。川畔はかつては石積であっただろうが現在はコンクリートの護岸に分厚く被われている。しかし数軒のお宅では、建物の中から直接川岸に降りられる階段が残っているものもあり、川が生活の一部に取込んであったことを示していた。あるいは、小規模な水運もあったのかも知れない。
 対岸の国道側から家並を眺めても、各家の土蔵などが川に面したりしていて、表通りよりも古い町並らしい風景を残していた。

 


訪問日:2004.12.23 TOP 町並INDEX