伊部の郷愁風景

岡山県備前市<産業町> 地図
 
町並度 4 非俗化度 3 −備前焼の郷−

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旧山陽道沿いに展開する伊部の町並




備前焼の店もこのような古びた構えが多く伝統を感じさせます。





町中には様々なところで備前焼が目に入ります。塀の一角に埋められた土管。神社の獅子も備前焼でした。 登り窯が良く似合う町並です。
 

 全国に名を知られる備前焼の故郷はここ備前市伊部である。平安期には周囲の山裾一帯に窯が築かれ、瓦をはじめ甕・壷・鉢などが焼かれ現在の備前焼の基礎を作った。釉薬を使わない素焼に近い技法を頑なに続けているのが特徴の備前焼は、渋い光沢を放つ独特の風合いを醸し、求める人も多い。
 この町には山陽道が通っていた。鎌倉後期になると片上が港町として、福岡(現長船町)が商業都市として発展してきて、それらを背景に販路を大きく拡大し、西日本一帯に広がっていった。そして、茶の湯の流行がさらにそれを後押しした。自然な土の色を残す陶器が「侘び・寂び」に通じることから愛用され、茶の湯を好んだ豊臣秀吉は備前焼を保護した。
 江戸期に入ると山陽道の往来は増し、参勤交代の大名行列、旅人の通行が頻りとなり、三石・片上には宿場として本陣が置かれた。ここ伊部は岡山藩の保護の下生産が続けられ、旅人の土産としても大変重宝されていた。江戸中期頃から不況が襲い活気を失ったが、明治に入ると三石の蝋石を使って土管そして耐火煉瓦の生産を始め、産業として発展した。
 今では実用的なものをはじめ焼物を趣味とする人々も多数訪れ、ファンは多い。それらの人気も手伝って観光面も今の備前焼を支えているといえる。
 伊部の町を歩くと、焼物を取扱う店が無数に眼につく。多くは昔ながらの木造の構えであり、街路に接した棚に並べられた焼物の数々を見るだけでも雰囲気が感じられる。近代的な不似合いな建物は少なく、訪ねる者の心を落着けてくれる。登り窯の煙が公害になるとして他では町の中心から離れた所に工場群を移したが、ここでは建物の密集する山陽道沿いに今でも多くの煉瓦造りの煙突を見ることができ、備前を象徴する風情ある景観を見せていた。
 路地に入ると塀には備前焼の瓦がはめ込まれていたり、土管が花壇代わりになっていたり、生活のあらゆるところで無駄なく使われているさまは興味深い。

 


訪問日:2003.11.23 TOP 町並INDEX