豊後高田の郷愁風景

大分県豊後高田市【商業町】 地図 
 
町並度 5 非俗化度 2 −国東半島の商業・物流の中心地であった−



浜町の町並


 豊後高田市は国東半島の基部西側、西端付近の狭い平地に市街地が開けている。鉄道や幹線国道は通じていないが、市街地から西に5kmほどのところに日豊本線と国道10号線がある。
 

 
平安時代には宇佐神宮の荘園となり、中世は現在の市街東部の玉津地区に高田城が存在し、江戸時代も高田役所として陣屋が置かれるなど行政・軍事的な拠点となっていた。
 また
半島の入口にあることから、古くから物資が集まる拠点となった。港も発達し、瀬戸内海西部各地と交易が行われたことにより半島一帯では最大の商業都市として発展した。
 また宇佐八幡宮の参詣客の流れもあり、明治以降になっても賑わいは続き、大正5年には宇佐参宮鉄道が宇佐駅を経て八幡の門前まで開通し、陸上交通の要衝としても繁栄を見せた。
 以後の参詣客の減少、国鉄の大量輸送に押され、また自動車交通の台頭もあって次第に中心街は寂れていった。
 しかし、現在この町は商店街を中心に、「昭和の町」として全国的にも良く知られるところとなっている。これは1990年代後半に寂れた商店街を甦らせようと商店主・商工会議所や市の若手職員などの間で協議を重ね、賑やかだった昭和30年代頃の姿を表に出して昭和レトロで勝負しようという方針が決定したことによる。
 ここでは古い町並としての紹介であるので、「昭和の町」に関しての詳細は省略するが、現在では大型の商業施設全盛の時代で、地場のスーパーマーケットも軒並苦戦を強いられる中で、地方の商店街としては数少ない成功例といえるだろう。それもこれ以上やると素材を殺してしまわいかねない、絶妙のレベルに留まっているのがよい。
 
中心市街地は桂川を挟んで西側の高田地区、東側の玉津地区にわかれる。観光客の多く訪れるのは主に高田地区の新町通りで、この一角では団体の来訪もあり、完全な観光地の様相だが、外観的な人工色は主に看板であり、建物そのものは往時のままである。一角には洋風の旧銀行建築が公開されていたりと、町並・建築としても訪ねる価値がある。
 周囲の中央・宮町・玉津商店街とそれぞれ呼ばれる商店街の街区も外来客にあしらった色は見られるものの、徐々に古い町並そのものの趣が現れ、二階部分の矩形窓、軒下の持送りや格子などが残された旧家も見られた。

 これ以上の観光地化は避けていただきたいものだが、土台がしっかりとした古い町並なので、町並探訪としても十分価値は残されているといえよう。




中央通(宮町商店街)の町並




新町の町並




玉津の町並

訪問日:2016.07.19 TOP 町並INDEX