本郷の郷愁風景
東京都文京区<都市部の非戦災地区・住宅地> 地図 町並度 5 非俗化度 6 −大学とともに発展してきた台地上の町- |
文京区本郷は旧東京市では本郷区とされていたところで、北部が武蔵野台地の縁端部である本郷台地で占められ、また東部は東京大学の敷地となっている。 東京大学は本郷通りから塀越しに緑深い構内が望まれ、有名な赤門もこの通りに接する。大学の敷地は加賀藩前田家の上屋敷だったところで、眼下に根津・上野方面を見下ろす高台にある。付近は古書などの小さな書店が並び、学術の町との印象を抱かせる。 |
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本郷地区の北側は大学とともにある 本郷館は古い下宿建築の形式を残す貴重な建物だ | ||
本郷五丁目の鳳明館 |
本郷六丁目の町並 奥の緑地は東大の敷地 |
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本郷四丁目と五丁目の境(菊坂)の町並★ |
本郷六丁目の町並★ |
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この付近は日本橋から出発した旧中山道が通過していた地で、根津方面から坂を上ってくる言問通りとの交差点の北側に本郷追分があり、そこから現在白山通りとよばれている道筋が街道筋を踏襲し、最初の宿駅であった板橋に至る。なお本郷六丁目付近に正式な宿駅としては記録はないが森川宿という旧地名が残り、馬立場が存在していたという。 大学の西側、本郷五・六丁目付近は台地の上の閑静な住宅街で、明治以降下宿街としての役割もあった。その象徴が木造三階建の「本郷館」と呼ばれる建物で、現在も下宿として利用されている。明治時代の古い形を今でも残す唯一の例と言ってよく、関東大震災や東京大空襲、そして都市化にも堪えて今に残っているというのは、奇蹟というほかない。 また数多くの文化人がこの台地上に居を構えたというのも、いかにも文教の地らしい姿である。今ではほとんどが案内板や石碑などにその根拠を残すのみとなっているものの、石川啄木や夏目漱石、正岡子規など錚々たる文人の名が案内される。 古い形式の和風旅館が多く残っているのもこの町を象徴する景観だ。中でも鳳明館は本館が登録文化財に指定されるほどの歴史的な建築構造を有し、格式ある本屋と周囲に巡らされた塀が自ら古い町並とも言えるものを形成している。それらを含め、この台地上は落着いた住宅地となっており、静謐ともいえる空気が支配していた。 本郷四丁目と五丁目の境に菊坂という坂道がある。本郷台地の南斜面上を斜めに登る坂で、そこから先の旅館街に至る道は急坂となっている。かつてこの辺りは菊畑が多かったそうでこの名が付けられたという。この辺りは台地の上とはやや異なる町並展開を示し、数は少ないが戦災に焼残ったらしい家屋が多く残っていた。土蔵や町家建築、そして特に印象的なのは、菊坂の南側に平行する細い坂道とさらにそこから派生する細い路地の風景であった。木造の建物が多く残っていて、階段や地道との取り合せが絶妙の風景を造りだしていた。 このすぐ近くには東京ドームがあり、歩いて10分ともかからない距離にこのような町並風景が展開するのは驚愕に値するともいってよいだろう。 |
狭い谷底に位置する本郷四丁目の路地(右端★) |
★:2009年5月撮影
その他:2006年11月撮影
訪問日:2006.11.05 (2009.05再取材) |
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