長洲の郷愁風景

大分県宇佐市【港町】 地図
町並度 6 非俗化度 10 −豊前東部の知られざる町並−


 

長洲の町並


 長洲は国東半島の西の付根付近、駅館川の河口に町が開け北は周防灘に面し、宇佐市の市街地の一つをなしている。川の対岸の柳ヶ浦地区から県道で小松橋を渡るとすぐに町の中心付近で、その南北に広がる網目状の細い路地に沿いほとんど手付かずの古い町並が残っていた。
 古くから港町として発展していた町で、ここより南方約5kmにある宇佐宮造営用の材木もここから荷揚げされていた。天明8(1788)年の記録では53隻の廻船を有していたといわれ、大坂方面へ商いしていた船も多かった。またそれらの船は多くがこの港で築造されたものだったそうで、造船技術も卓越した町であった。また漁港としても賑わい、主に近海漁だったが一時は鯨も頻繁に現れたりして、漁業もこの町の発展に大きく貢献していた。
 旧豊前国にありながら江戸期の大半を肥前島原藩領として経過し、東隣の高田役所(現豊後高田市付近)とともに長洲会所が近隣の肥前領地の拠点として機能し、港を出入りする船を監視する沖番、漁港を管理する魚改役も同時に置かれ、付近の政治・経済の中心となる大きな町場だったようだ。
 この町を歩くと港町らしい細い路地風景が連続するとともに、大柄な町家風の家屋があちこちに残っており、廻船業を主体とした商業が広く栄えていたことを思わせる。幕末には酢屋・塩屋・紺屋・醤油屋・酒屋などの各種商人が存在していたという。
 旧商家だったらしい伝統的な建物は平入りの外観で、隣家と軒を接さず屋根が入母屋形式となっている例も多く、厳かさを感じさせる。多くは明治以降の建物のようだが、漆喰に塗られた戸袋に鏝絵が刻まれていたりして、経済的に潤っていた町だったことを証明していた。
 そしてその間には、木造の簡素なもと漁家らしい建物が高密度に連なり、全く地のままの家並が続く。漆喰のはがれた土蔵なども多く残り、自然体の古い町並が息づいていた。
 




戸袋に鏝絵で屋号を記した商家が見える。






訪問日:2006.08.14 TOP 町並INDEX