秩父の郷愁風景

埼玉県秩父市<商業町> 地図
 
町並度 5 非俗化度 6  −秩父地方の中心として一大商業都市となった−






宮側町の町並 左は明治初年築のもと商人宿



 周囲を山地に取囲まれ、他とは地域的に隔てられた秩父地方。荒川沿いの盆地に市街地、農業地帯が展開している。
 中心都市・秩父市の現在の市街地付近は古くは大宮郷と呼ばれていた。これは秩父(知々夫)神社の門前町であったことから呼ばれていたもので、大正に入って地域名・郡名であった秩父に改められた。
 藩政期は武蔵国秩父郡に属し、忍藩秩父領として経過した。在郷町・大宮郷はには陣屋を置き、代官役人を月替わりで常駐させた。藩財政は盆地一帯で盛んだった生糸や紙などの商品作物が基盤となった。
 1・6の日には六斎市が立ち、絹などの織物をはじめ、煙草・楮・大豆などが近隣農村から持ち込まれ取引された。特に妙見宮の祭事の折には絹大市が開かれ、一層の賑わいを示した。
 秩父往還沿いには絹の仲買人をはじめとして商人が居を構えるようになり、酒造家・米穀商・質屋など多数の商人が軒を連ねた。江戸その他からの陸路はいずれも峠越えを経てこの往還沿いに達しており、商業都市として発達するにつれ往来も活発となり、町場の更なる発達をみた。現在のバス通りとなっている県道73号もかつての往還であり、当時の商業中心地であった。
 旧往還は現在も交通量が多く、建物も店舗などに更新されており古い町並としての連続性は淡かった。しかし、明治初期建築の商人宿「秩父館」の内部を改装し、観光拠点や情報発信基地として活用している姿、寄棟屋根に袖うだつを構えた商家建築、木造三階で越屋根を備える堂々とした建物など、個々の質的には高いものも多く残されている。
 大まかに言うと荒川の河岸段丘に沿って往還が整備されており、北側は一段低い土地となる。その付近にも商家建築や土蔵などが見られ、往還沿いとはまた異なった風情の古い町並が展開していた。
 



道生町の町並


  本町の町並




上町の町並 中町の町並


 古い建物の見られる範囲が広域で、また外観上も様々であることから、古くから大きな市街地を有し、かつ長い期間にわたり繁栄した町場であったことがわかる。やや散在的であるので、古い建物のガイドマップや個々の簡単な案内板などを整備すれば、外部からの訪問客にもそれらの魅力を見出して貰うことができるだろう。
  
上町には木造三階の建物も見られる

訪問日:2018.06.08 TOP 町並INDEX