小さな郷愁風景〜岡山県の風景〜

味野(旧野崎家)の風景 (倉敷市児島)
 

 味野は西に鷲羽山を仰ぎ、東に由加山などのある山塊を控えた、低平な位置にある。江戸後期より周辺には塩田が開け、現在児島駅のある周辺は比較的最近まで廃塩田の広大な空地が広がっていた。
 上の画像は味野の一角にある野崎家の旧宅である。日本一の塩田王と呼ばれた豪商の家で、長屋門をくぐると3000坪という広大な敷地に、貴賓を迎えた表書院、濡れ縁の一角にの水琴窟、天保4年の建築で奥行23間(43メートル)もある中座敷、枯山水の庭園、6つの蔵など、驚くばかりの大豪邸である。全国各地を見てもこれほどの規模を誇る個人の邸宅は余り無く、瀬戸内文化が凝集された典型的な旧家として価値の高いものである。周辺にも数件の別邸を所有し、現存している。
 付近の海岸は野崎浜と呼ばれ、児島駅の反対側、港の近くに塩買船の誘導を主目的とした野崎浜灯台という木造の灯台が保存されており、児島のシンボルとなっている。
 (03.03.16)
宿の風景 (山手村)



 
 旧山陽道は岡山市の北西部を西進し、吉備津神社の北をかすめて今の都窪郡山手村を通っている。板倉、川辺宿の中間に、その名も「宿(しゅく)」という集落があり、いわく有りげな地名であり訪問してみた。
 西側の川辺宿は高梁川を渡ったところであり、西進する旅人は氾濫時・増水時はしばしば足止めを食らわされた。ここは本宿ではないが、その際の代わりの宿場としての位置付けがあり、旅籠をはじめ本陣・茶屋が存在していたというから宿場としての施設は十二分に揃っていたのである。
 北側に備中国分寺五重塔を臨む辺り、宿の細長い集落が2車線の道路を挟んだ反対側の細い街路沿いに伸びている。吉備路のサイクリング・ロードの一部であり、自転車をふと停めてみたくなる静かな街道集落の家並がここにはある。
 もっとも、本陣はおろか連続した宿場らしいいでたちというわけではない。しかし備中国分寺をバックにして、田園地帯に静かで端正な家々を見ると、吉備路を巡っているという思いを強くするものである。
(03.03.17 「備中国分寺付近の郷愁風景」より転載)

茶屋町の風景 (倉敷市)

 

 倉敷市南部のこの茶屋町付近は、町域の西を流れる汐入川より西が本来本土であったところで、それ以東は海域であった。本土と児島(昔は離島であった)の間の狭い海を干拓して生れた町で、それでも吉備の穴海とも言われ水を克服する苦労が続いた。水といっても塩水で生活には全く役に立たず厄介なだけの水だった。入植者は近くの天城からやって来る水商から水を購入するしかなかった。
 今でも町には上のようにクリークが縦横に巡っており、治水の苦労が偲ばれる。また、ここは後に由加山、そして金毘羅参詣への参道が通ることとなり、町のあちこちに道標が残っていた。
 (03.03.17 「藤戸町・茶屋町の郷愁風景」より転載)

日生の風景 (日生町)

 県の南東端にある日生町は古い港町で、参勤交代時などの重要時に人員が徴発される加子浦に指定されていた。また、村の管理する海面は東は播磨国室津(御津町)沖から虫明(邑久町)、牛窓を結ぶ領域に及び、この海域で難破船や溺死者が出ればこの日生村が引受けていたという。
 漁業も盛んで備前有数の港町であったが、現在の町には古い姿はわずかしか残っていない。
 地元の方によると日生の人は新しいものへの対応が早く、漁業などで儲かるとすぐに家を建替えたりするそうだ。その影響もあってか一時期岡山市中心部と肩を並べるほど地価が上昇した時期があったという。
 しかしそれでも横道に入ると、港町らしい家並が所々に見られた。
 (04.04.18)



酒津の風景 (倉敷市)





酒津は倉敷市街地の北端、高梁川にぶつかる位置にあり、少し上流に向えば山陽自動車道や新幹線が川をまたいでいる。
 この付近よりかつて東高梁川が分流していた。現在は治水工事によりかつての河道筋は公園となり、また八箇郷用水と呼ばれる用水の取水口となっている。
 郊外住宅地の様相だが古くは裕福な農村地区だったらしく敷地の広い屋敷が長屋門や土蔵を従えて残っていた。但し町並というほどは固まって残っていない。

 (08.04.20)