小さな郷愁風景〜大阪府の風景〜


夕陽丘の風景 (大阪市天王寺区)





 
 天王寺の地名の源である四天王寺は大阪市内を南北に走る微高地・上町台地上に位置し、その西側の一帯は夕陽丘と通称される。西側の難波方面に対しては崖となっていて、大阪市内としては珍しい急な坂道や階段となり、前方に街並を見渡すことが出来る。周囲は四天王寺の寺町として多くの寺院が集められ、坂道も愛染坂、口縄坂などの由緒ある名称が付けられ、その由来を記した案内板が建てられている。ほぼ都心部という位置にありながら非常に静かなたたずまいの地域で、散歩にも最適である。
鎌倉時代に歌人である藤原家隆がここに「夕陽庵」という庵を設け、「契あれば難波の里に移り来て波の入日を拝みつるかも」と詠んだという。当時はこの下は波打際であったという。
 
 (07.01.03)


郡山宿(椿本陣)の風景(茨木市)




 山陽道の西宮宿から京都羅城門までを結んでいた旧西国街道は、西国大名の参勤交代時に多用されたことから重要な街道として各宿駅には本陣が構えられた。中でも郡山宿の本陣はほぼ完全な形で残っており内部も公開されている。
 門のそばにあった椿が毎年五色の花を咲かせたことから椿の本陣として知られた。街道のほぼ中間に位置し休泊地に選択されることも多かったらしく、保存されている当時の宿帳には諸大名の名がずらりと並んでいる。
 本陣前の街道筋は往時そのままの道幅とは言いながらも、大都市近郊地区ということもあり自動車も頻繁に通る生活道である。建物も多くが現代風の構えに更新され、古い町並としては面影が淡くなっている。
しかしこの旧本陣の門をくぐって座敷から眺める美しい庭は、往時の旅人の見た風景そのものである。

 (05.09.03)


旧郡山宿の町並


柴島の風景(大阪市東淀川区)




 柴島はくにじまと読み、阪急電鉄の駅も設けられている。現在は淀川の堤防に抱かれたような狭い一角で、この地区だけ古びた町並が展開するので驚かされる。そのいわれは定かではないが中世に柴島城が存在し、その跡地に小さな石碑が残されている。
 盛んだった綿花栽培により木綿晒しが名産で、それも淀川の流れを利用して生産されたという。
 長屋風の古びた家屋や土蔵をはじめ、立派な神社があるなどかつて一つの自治体としてまとまっていたらしいことが伺えた。

(09.11)




大宮・千林の風景(大阪市旭区)






 地下鉄谷町線に千林大宮という駅があるが、千林と大宮は別々の町である。しかしともに旧京街道に沿い、東は守口宿に接している。
 所々に古びた家々が残り、街道集落の面影を伝えている他、駅付近では商店街となっており、特に西側では立食い飲み屋や唐揚屋など庶民の集う店が多く、それらを見て歩くだけでも楽しいものがある。

(09.11)


玉出の風景(大阪市西成区)




 玉出は南海電気鉄道で新今宮から3駅目の岸里玉出駅が最寄である。関西の私鉄や大阪の地下鉄は重複駅名が多いが、ここも岸里とは別の町である。
 南海電鉄の敷設をきっかけに周囲の諸農村の拠点となり、商業が発達した。戦災を大きく受けなかったこともあり、部分的ではあるが大阪特有の町家風建築が残り、庶民的な町並が展開している。
 象徴的なのが玉出商店街で、特に枝状に展開する玉二商店街という街区は鶴橋商店街にも匹敵するような古びた商店群が残っていた。

(12.07)




中津の風景(大阪市北区)







 中津は梅田にも近く、都市部の風景しか想像できないところであるが、狭いながらも戦災を免れた区域があり、周囲とは異なる街の風景が展開している。
 淀川にも近い中津3丁目界隈は、中津商店街がアーケードを従えて残り、昭和的な懐かしい雰囲気を放っている。この周囲にも、いわゆる大坂うだつの見られる家、長屋風の建物などが見られる。
 古い建物をギャラリーなどとして再利用する動きが活発なようで、それらを訪れる若い人の姿が見られるなど、新たな動きが起こっているようだ。

(17.07)

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