小さな郷愁風景〜山口県の風景〜


四郎ヶ原の風景 (美祢市)


 美祢市の南西部に位置する四郎ヶ原地区は赤間関(下関)と萩を結ぶ赤間関街道が通り、小規模ながら宿駅として機能していたという。赤間関街道は響灘沿いに海岸を北上するものなど数本あり、この四郎ヶ原を経由するものは最も東寄りの、通称中道筋と呼ばれていたものであった。
 歩いて数分で行き過ぎてしまうような小さな集落であるが、赤瓦に彩られた家々は伝統的な形式を保つものも目立ち、古い町であることがうかがえる。
 嘉永3(1850)年、吉田松陰は九州への遊学の旅の折、この四郎ヶ原に初日の宿を取ったとされる。初めての藩外への旅、ここでの一夜ははやる気を鎮めるものであったろう。

(06.03.19)


由宇の風景 (由宇町)
 

 県東部の瀬戸内海に面する由宇の町は、廻船業によって発達してきた歴史を持つ。大規模な廻船はなく、尾道から赤間関(下関)間の近海沿岸輸送が主であったらしいが、江戸も後期になると、港の整備とともに大坂方面とも取引を行った。またこの由宇浦には内陸部からの物資が川運を経て集められ、商家も立地した。また岩国藩の出先機関である代官所が置かれ、藩域南部の政治を司るところともされ、中心的な町であった。
 現在、商店街や新しい住宅に建替えられるなどして、古い町並としてはほとんど残っていないが、僅かに間口の大きい町家建築が所々に残り、歴史を伝えていた。
 右の写真は代官所のあった付近の町並である。

(06.12.17)
 

室津の風景 (豊浦町)




 ここはかつて室津浦と呼ばれる有数の漁村で、長府藩領に属していた。響灘に面し、河口部の平地に構えた集落は江戸前期には既に人口1000人を数え、浦庄屋や浦屋敷もあり重要な港津であった。また萩城下へ通じる北浦道もここを通過し、宿屋も存在したという。
 漁獲は鯵や鯖などの近海物が主だったが、時に鯨も捕獲されたという。
 町を歩くと路地が支配する漁村らしいものである。但し伝統的な建物は少なく、ごくわずかに板壁や漆喰、海鼠壁の古い建築が残っているだけである。その中で鏝絵が数軒のお宅で見られたのが印象的であった。
 (11.10.09)




島戸の風景 (豊北町)



 県の北西端に位置するこの島戸集落、近年長大橋が開通し観光名所のようになっている角島大橋の本土側のたもとを占めるところである。
 古くは海上の関所が設けられていたという。江戸時代には一大漁村となり、酒屋や紺屋などの商家も現れたが、現在は小さな漁村で、穏やかな船溜りを囲むのどかな風情であった。

(11.10.09)

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