筑後松崎の郷愁風景

福岡県小郡市【宿場町・陣屋町】 地図 
町並度 4 非俗化度 7 
−有馬氏の陣屋町 計画的に主要街道を引入れ宿場町が形作られた− 





 松崎の町並 右は復原された旧旅籠の建物


 小郡市域の東部に位置する松崎は藩政期、筑後国御原郡に属しており、筑後川右岸の平坦地に町が開けている。
 寛文8(1668)年、久留米藩主有馬頼元は義兄の豊範にこの松崎の地を分知し、同11年には松崎陣屋を完成させている。松崎藩の発足であった。
 豊範は地内を縦断していた横隈街道に着目し、この街道沿いに宿場町を造成し、町として発展させようと考えた。家老であった藤田武右衛門に宿駅の経営を任じ、九州の諸大名も通る幹線街道を引入れたうえ、本陣も構え本格的な宿場町を整えた。
 松崎藩の陣屋町としての期間は短期間であったが、その後も宿場町としての発展は続き、商業も集積し賑やかな町が展開していたのだろう。18世紀前半の宝永年間には106軒の家屋を擁する町場となっていた。
 現在の国道500号線から南に向い、旧松崎宿の佇まいが残る。幅員は往時のままであるが中央線もある道路であり、宿場町としても規模の大きいものであったことが知れる。そして家並はさすがに伝統的な建物が連続したものではなかったが、妻入りでしころ庇と呼ばれる裾屋根を両側に張出させた町家、その他旧街道らしい古い構えの家々が散在的に残っていた。旅籠が並ぶ家並の両端には街路の枡形が設けられて直角に折れ曲っており、その先には構え口と呼ばれる宿場の出入口が設けられていた。北構口付近には番所が設置されていた。
 






 今回は10数年ぶりの再訪であり、町並の雰囲気は大きく変わっていないようであった。そんな中で戸袋に「油屋」と記された大柄な旧家が目についた。旧旅籠の建物で、以後も旅館・芝居小屋などとして使われ、最近になって復原修理、公開も始めたとのことである。訪問した日は年始で中を見ることはできなかったが、地元の人々の意識の表れであり、応援したいものだ。
松崎宿北構口跡 




 北構口付近の町並


2021.01再訪問時の画像   旧ページ

訪問日:2008.08.16
2021.01.03再訪問
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