力石の郷愁風景

長野県上山田町<商業町> 地図 <千曲市>
町並度 5 非俗化度 9 −千曲川水運及び養蚕で栄えた町−




力石の町並

 力石地区は千曲川の左岸、長野盆地の最南端にある。この地名のいわれは、上田盆地との間に挟まれたちょうどこの辺りで千曲川の流れが急になり、洪水時に運ばれてきた巨石を力比べに使ったということからだそうで、地内の神社にはその実物とされる石が祭られている。
 信濃国更級郡に属し江戸期は期間を通じて松代藩領だった。藩の筏庄屋が置かれていて、千曲川の水運における拠点として重要なところであった。それにしてもこの川ははるばる越後に流れ下り信濃川と呼ばれるように、北・東信地方にとっては物流に多大な貢献を及ぼした河川であったのだろう。
 産業としては養蚕が盛んで、幕末の文久年間の記録によると、蚕種商売15、木綿師2、絹紬
(きぬつむぎ)2などとあり、明治初期では生糸208貫、蚕種1500枚などとあり、同20年には近代産業として信濃蚕種同業組合も設立されて近郷の養蚕地の中心となった。
 町並を歩くと土蔵が目立つ。これらは母屋に付属していたもので、以前はもっと重厚な建物が多く残っていたのだろう。母屋は取壊しまたは建て替えても土蔵は潰すに忍びなかったであろうという情景は各地で見られる。そして残った母屋は二階部分の立上がりが高く堂々としたもので、屋根部分に一段と持ち上げた越屋根を持つものが目立った。これは気抜きの屋根と呼ばれる養蚕家独特のもので、二階部分が丸ごと養蚕室だった名残である。このような造りはこの近隣、さらには他の地方でも見られるが、それが非常に見応えある堂々としたものであるので、この地区の養蚕業がいかに繁栄していたかがわかる。
  









この大きな越屋根は養蚕家の名残だ




地名のいわれとなった「力石」

訪問日:2014.09.14 TOP 町並INDEX