長野県茅野市【産業町・農村集落】 地図 町並度 3 非俗化度 7 −明治以降養蚕・寒天製造で発展− |
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宮川地区に残る代表的な「寒天蔵」 | |
茅野市は諏訪地域の東部、東側は八ヶ岳の列山が連なる山岳・高原地帯で、そこから緩やかな山麓丘陵が諏訪盆地に向って展開し農村集落が散在している。 江戸期には甲州街道が横断、現在の市街中心には茅野間宿が設けられていた。ただし当時は寒村に過ぎなかったようで、新宿方にある金沢宿が町場的には発達していたという。 明治に入ると周辺地域と同様に養蚕と製糸業が発達し、また寒天生産も盛んに行われ主要産業となった。明治38年中央本線の開通により現在の駅周辺に商業が集積し、市街地が形成された。 市街地には街道町や商業町を思わせる町並は残っていないものの、特徴的な建物がある。それは寒天蔵と呼ばれるもので、市街中心から南東に川を挟んだ宮川地区で見られる。もともと蚕の飼育、繭蔵として使用されたもののため開口部が小さく、多層建てになっているのが特徴で、中には繭そして寒天の揚げ降ろしのためエレベーター状のものが設置されていた蔵もあったという。 多くは10km以上も離れた岡谷にあった繭蔵を移築したものであるとのことで、その点も特筆される。移築されたのは昭和初期頃で、岡谷の養蚕・製糸業が下火になると、その頃茅野では寒天製造が盛んになったためで、その構造がお互いにとって最適な造りであったのだろう。 駅南から続く県道バス通りに面して残る1棟は、時折催し物なども行われるようだ。三階建の特徴ある建物は保存活用いかんでは町のシンボルマークと成りうるように感じられるが、寒天蔵自体今では数を減らしているようで、私が確認できたのはこの他には脇道に沿い残る1棟のみであった。産業遺産ともいえるものだけに、現存するものだけでも保って行ってもらいたいものだ。 寒天蔵以外にも、土蔵がさまざまな形で見られることが印象的だった。店舗として利用されているもの、主屋などの一部に取込んだいわゆる内蔵の形を持つものなどさまざまであり、中にはほぼ新築と思われる建物に取込まれている例もあり、古い蔵を大切にされている様子がわかる。 |
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枝道に残る別の寒天蔵 | |
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様々な形の土蔵が目に付く町並 | |
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訪問日:2024.05.31 | TOP | 町並INDEX |
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