知覧の郷愁風景

鹿児島県知覧町【武家町】 地図 <南九州市>
 
町並度 8 非俗化度 1 −薩摩を代表する芸術品ともいえる麓集落−














 

 
薩摩半島やや南寄りの内陸にある知覧は、薩摩を中心とした旧麓集落の中でも残存の質量とも最大のものであり、多くの観光客を迎え入れている。県内の麓集落では出水や入来と並んで重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
 数多く存在した麓集落は鹿児島藩の直轄地、あるいは島津一族の統治する私領地として位置づけられていたが、知覧は後者にあたり、島津一族佐多氏の領有であった。17世紀半ばの延享2年に佐多久峯により集落が整備されたと言われ、現在見られる姿にほぼ匹敵する姿が形成されていたという。氏は武家地の整備のみならず文教を積極的に奨励したこと、屋敷の周囲の防衛障壁として生垣や石垣を取り入れたことなどが功績としてあげられる。
 それは現在の町並の姿にもそのまま受け継がれていると言える。他の地区では旧麓集落といっても、多くはごく一部にしか遺構は残っていないことがほとんどであり、残影ということばどころかそれすらも危ういところも多々あるが、ここではほぼ完全に原型を保ち、しかも麓集落に限らず全国の武家街では滅多に残っていない主屋も多く残されている。これは非常に稀有なことといえる。これは佐多久峯氏の功績が大きいとともに、維新以降もその優れた町としての構造、造形に住民が誇りを抱き、変形させることなく維持し続けてきたこともあるのだろう。
 
もっとも主屋は明治大正期に建築(建替え)されたものが多いというが、質素な外観がほとんどの武家にしては豪華なつくりが多いのも、外観的に塀だけになりがちな旧武家屋敷街の佇まいにあっては珍しく、探訪に重厚さを増してくれる。そしてさらに特筆ならしめるものは各屋敷の庭園である。これは芸術品といってもよいもので、枯山水の本格的日本庭園、また周囲の山を借景とした庭の景色など本格的なものである。これらは名勝として指定され有料公開されているものであるが、その価値は十分ある。一般的にイメージする形骸化された旧武家町のイメージとは全く異なるものといえよう。
 それはもちろん常時維持管理され観光地として整備されているからではあるが、町並に興味の淡い人でも一度は訪ねておいてほしいところである。




町並だけでなく邸内の庭園も見事である

訪問日:2014.01.04 TOP 町並INDEX