智頭の郷愁風景

鳥取県智頭町<宿場町・産業町> 地図 
 町並度 6 非俗化度 5  −山深い陰陽連絡の宿駅 林業の町−







智頭の町並 右は石谷家住宅(重文)


 鳥取県南東部の山間にある智頭町は林業の町である。歴史は古く、江戸中期にはその名を知られていた。その繁栄を促進したのが文化9(1812)年の鳥取城下の大火で、自然の山からの木材では再建に事足りず造林の重要性が叫ばれた。天保年間には植林がこの一帯で大規模に行われるなど林業という面ではかなり先進的な地域だった。明治期では戦争などで需要が増し、その後も国鉄の開業などで林業は発展を続けた。
 古い町並にも木材を多用した建物が多く見られ、その豊富さがわかる。漆喰に覆われたいわゆる白壁の町並ではなく、格子を随所に配し、妻部は板張りである。そして屋根は山陰地方独特の赤瓦が目立ち、近畿地方や山陽の町並の印象とは異なる、渋い雰囲気の町並である。









 
 この町並は上方往来と呼ばれた旧街道の名残である。智頭には大きな宿駅が置かれ、黒尾峠を越えて津山に至る作州往来(備前往来)を分岐させて山陰・山陽の接点にあった。参勤交代時の大名の宿・本陣、御茶屋などが存在していた。駅馬も22匹常備されていたという記録がある。
 北から南に向かい緩やかな登り勾配を伴い、この宿場町は連なる。途中には屋号木綿屋の米原家が、重厚な入母屋造り、黒漆喰塗りの威容を現している。この町並で最も見応えのある旧家だ。また上り坂の途中には大庄屋などを勤め上げた石谷家が、広大な敷地を従えて鎮座している。智頭宿の中心たる家柄であった。
 この町は大小の街道が収斂する宿であったため、宿場町でありながら古い家並の分布は一本道に限定されない。先の米原家の前から分岐する作州街道沿いも、落着いた中二階の家々が残り、町並景観を引き立てている。
 また周辺には水路を生かした雰囲気のよい路地も巡っていて、しかもそれが人工的に誂えられたような色もなく土蔵風景などに溶け込んでいる。
 公開された石谷家の他、観光客に対しそうな店は1軒の造り酒屋程度であり、所々に設置されている案内板も控えめだ。家並が自然な感じで残り好感の持てる町並であった。

 また、智頭駅近くの河原町界隈にも、もと商店と思われる家々が連続性を保って連なる一角があり、こちらも古い町並として息づいているといえる。旧宿場町の地区とは別に、明治以降になって道路や鉄道が整備される段階で形成された市街地なのだろう。






訪問日:2004.06.20(初回)
2014.08.13最終取材
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