大山坊領の郷愁風景

鳥取県大山町【農村集落】 地図 
町並度 4 非俗化度 10 −大山寺とともに発展してきた集落−








坊領集落の風景


 霊山・大山は古くから人々の信仰の対象として崇められ、開山1300年を数える。その中心は中腹にある大山寺で、麓からの道も多くは大山寺へ向かうものであり、最盛期には三千人もの僧兵を抱える一大勢力を誇っていたという。
 この坊領地区は大山領のうちの汗入組に属していた。麓から一直線に大山寺に向う街道沿いに位置しており、地名は大山本坊の所領の中心であったことに由来するともいわれる。
 集落は大山そして大山寺との密接な関係のもとに発達してきた。中世以来のこの地区の武士であった中津尾家は大山寺の家臣でもあり、慶長年間以来汗入組の大庄屋をつとめていた。また、大山寺では富くじが行われ、当村でも御材木講と称される富くじが盛行した。旅芸人による芝居小屋もかけられ、地内には芝居場との字名が残っているという。
 汗入組5ヶ村の蔵入米を収納する蔵もあり、山を下って淀江の港から津出しされた。
 バイパス路が並行しているため集落内は静かであり、緩い坂に沿い家並が連なる。家屋・土蔵問わず腰回りに黒板が貼られており、瓦も山陰で一般的な赤褐色ではなく、黒瓦が優勢であった。山陰でも時折黒瓦のみ、または黒瓦主体の集落がある。
 通りに面した建屋の中央が門となり中庭が望める構造になっているものも多く、重厚さを感じる。大山への参拝客・登山客も迎え豊かな農村集落だったのだろう。街路の両側には清らかな水の流れがあり、大山の秀麗な山容を望み一層清冽な印象を受ける。




通りに面する建屋が門を兼ねる構造となっているものが多い 個性的な意匠の土蔵も


 
通りの両側には清冽な水の流れがあった 

訪問日:2020.04.04 TOP 町並INDEX