御領の郷愁風景

大阪府大東市<農村集落> 地図 
 町並度 5 非俗化度 7 −都市化に抗うように残る水郷の風景−

 



 
御領地区 水路に接して家屋が建ち並ぶ箇所もある 


 大東市御領地区は市域の北西部、門真市との境界付近に位置し付近は住宅地が展開している。鉄道での便は余り良くなく、京阪電車の大和田駅から出るバスを利用する。
 地名は朝廷御領あるいは室町幕府の御領であったという説があるが定かではない。公式に地名として登場するのは天正12(1584)年の「河内国御蔵入帳」に「五里やう村」と記述されているのが最初で、江戸時代の多くは幕府領として経過した。
 古くは深野池をはじめとする沼沢地で、江戸期に干拓され陸地が拡大、御領は堤の西側に位置した。しかし標高わずか1m余りの低地であり、地内には井路とよばれる排水路が縦横に巡り、水郷といった趣だった。それらは物資の輸送にも使われ、水路沿いには物資を貯蔵する蔵(段倉)も多数建てられた。大正時代頃からはレンコンが名産として知られた。
 バス通りの府道161号から南に向うと細い路地ばかりになり、やがて板塀を長々と連ねた屋敷や土蔵といった明らかに周囲とは異なった町の風景が展開してくる。もと茅葺と思われる見事な入母屋屋根を持つ旧家もあり、農村集落というか豪農集落といった趣だ。
 地区の南側にある菅原神社は水路に囲まれ、付近は水郷の雰囲気が一層濃いものがあった。水路沿いの石垣上に建てられた家々には船が付けられるような窪みがあり、段倉を思わせる土蔵など象徴的な風景も残っていた。
 所々に案内板が設置され、また裏道の歩道には水路を利用した親水空間が整備されていたりして、好感が持てるものがあった。
 
 



 
   
 

 


訪問日:2025.01.03 TOP 町並INDEX