大東町大原は県の東部一帯に広域に展開する北上山地の南端付近、北上川支流の上流域に開けた盆地に町が形成されている。
沿岸部の陸前高田とを結ぶ街道が通っていたこともあり古くから発展を見る。往来の増加に応じ町場が発達したが、その基盤となったのは産業であった。特筆されるのが砂鉄業で、地内を流れる川は砂鉄川と命名されている。江戸中期の元文年間に採取がはじまり、藩の奨励によって鉄製品が増産された。鉈・鎌・鍬・鋸・鉋などに加工された製品は各地に売り出されていた。
その他煙草や足袋の生産も盛んであり、北上山地では屈指の商業の盛んな土地であった。江戸後期の弘化4年の記録によれば大工7・染師5・鍛冶3・桶結2・木挽8などの各種職人が在住しており、また奥州街道ぞいから沿岸部に向う人々の往来に応ずる宿駅的な役割も帯びていたといわれる。
現在も町には往時の繁栄の姿が十二分に残存している。特に眼につくのが店蔵の姿で、漆喰に塗込められた二階部の扉、海鼠壁の意匠など富を遺憾なく表現した商家の心意気が感じられる。多くでは近代になって店舗に改装されたらしく、ガラス戸になっている例が目立つものの、間口も広いものが多くそれらの姿を見るだけでも訪れる価値のある町並である。
一方町家は前面が全体的に開放的なつくりで、やはりこれも商いをしていた名残なのであろう。赤褐色の瓦が葺かれ、山陰地方や北陸地方の一部と共通する部分も感じられた。
一つ残念だったのは訪ねたとき紅白の横断幕が町並全体に張り巡らされていたことだ。催し物が予定されていたのだろう。
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