松山市道後温泉【温泉町】 地図 町並度 4 非俗化度 3 −近代的な温泉地の一角に僅かに古い佇いが残る− |
温泉地が比較的少ない四国にあってこの道後温泉は抜群の知名度と集客力を持っていることは改めて触れる必要もないほどであろう。歴史も非常に古く、利用した人物の中には聖徳太子の名も見えるほどである。 |
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道後温泉の象徴・本館の建物 | |
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本館の南側に昔ながらのたたずまいが残る | |
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道後湯月町の町並 かつての遊興地の名残が見られる | |
戦国期には伊予国支配の拠点としてここに湯築城がきずかれ、城として機能した期間は短かったが現在でも道後公園として緑地が保たれ、整備されている。その緑地が温泉街が町の喧騒から隔てる効果を持っているのか、市街地に隣接している北部を除いて落着いた雰囲気が感じられる。とりわけ明治27年竣工の道後温泉本館の姿は圧倒的な存在感を感じさせ、まさしくシンボル的な建物である。3階建の木造建築を中心に複数の建屋が複雑に組合されて一体をなしているその姿は、近くの高台に登って見下ろしても全体像がつかみにくい。1階部分の大衆浴場から皇室専用の浴室に至るまで揃えられた、まさに道後温泉の核心をなす建物だ。 残念ながら、全体的にはビル旅館が多数を占めそれは特に本館より北側で著しい。この地区ではほとんど温泉情緒というものも感じることは困難だ。一方で南側に足を向けると観光客の姿も少なくなり、木造の古びた旅館などがわずかばかり残り湯の町の風情を感じさせる。 南側一帯は湯築城址の小高い山とその東側の山塊との鞍部で、坂が支配していた。商人宿などの古びた旅館街が連なる一角には、遊興街の名残と思われる一角もあった。ここはかつて遊郭として許可されていたところといい、現在でも二階に手摺の付いたような置屋風の木造建造物がちらほら見られる。但し、現在でも営業されていると思われる店舗は少ないようで、取り壊しが予定されているのか中の荷物を持ち出している最中の店もあった。あちこちに空地もあり、場末的な少々寂しい一角であった。 この付近で脇道裏道に入ると、長期滞在者用かと思われる小さな民宿や、近代洋風建築の旅荘などもあり昭和の面影を感じることが出来る。但しいずれも営業されてはいないようで、近代的なビル旅館などに更新される可能性も高い。温泉本館や伊予鉄道の駅舎など、象徴的なものだけで湯治場として位置づけられていた頃の佇まいは失われる日も遠くないと感じた。 |
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![]() 道後湯月町の町並 |
![]() 道後湯之町の町並 |
訪問日:2008.02.11 | TOP | 町並INDEX |
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