洞川の郷愁風景

奈良県天川村【門前の旅館街】 地図
 
町並度 7 非俗化度 4 −霊山・大峰山を訪ねる修験者の前衛基地だった−





洞川の旅館街

 
吉野地方は北部の一部を除きその大半が険しい山地で占められ、長らく交通事情の不便さが経済的・文化的交流の障壁となっていた。そのため独自の文化圏を形成し、近畿中央部とは異なった地方語が存在し、また町並や集落にもそれが表れている。
 この洞川集落は山間部の標高800mほどの小盆地に展開し、旅館街を中心に小さな市街地を形成している。訪ねたのは旧盆期間中であり、多くの地元客・宿泊客で賑わっていたが、吉野の入口・上市からも1時間近く、天川村の中心部からさらに峠ひとつ越えた山峡の地になぜ立派な旅館街が立地しているのか。
 ここは古くから大峰(大峯)山の「山上参り」の登山基地として多くの客に利用されてきた。大峰山は修験の山と呼ばれ、修行目的の修験者が吉野の山麓から大峰山を経て熊野本宮大社に向っていた。急崖に上半身を乗り出す「西の覗き」もこの修験道沿いにある。大峰山は単独の山を示すのではなく、修験道に沿い本宮大社に至る峰々全体を指しており、その吉野側の登山基地がこの洞川であった。
 紀伊半島は古代からの霊場が多く、熊野地域とこの奥吉野一帯、そして高野山がそれぞれ独自性を保ちながらも股にかけて訪れる人々も多く、信仰の地としての規模は他の地方には類を見ないものであった。
 旅館街は独特の風情が醸し出されていた。木造二階建でほぼ統一された旅館は街路に軒を接して面し、商店や民家など他の建物の比率はきわめて低く、純度の高い旅館の町並であった。もちろん近代的な装いのビル旅館などは全くない。そして最も洞川の宿を象徴するのが開放的な一階部である。縁側のような造りであり部屋から直接街路に出られる構造のものが目立つ。これは修験者一行が装束姿になり一斉に登山に出発できるように考えられたものとされている。また大峰山がかつて女人禁制の地であったため、宿泊客が男性ばかりであることからプライバシーの確保が余り必要でなかったこともあったのだろう。
 或る旅館は二階部分に豪勢な木製欄干を設えて旅装を解いた客が浴衣姿でくつろいでいる姿が見え、また格式高い前庭を持つ伝統的な旅館も見られる。名物である陀羅尼助という和薬は修験者達に愛用された胃腸薬であり、また吉野地方らしく葛も名産である。
 近年になって温泉が湧くようになり、かつては修験者の訪れのある春から秋のみ旅館が営業していたというが、現在はもちろん通年営業で、温泉や避暑を目当てにした観光客で賑わうところとなっている。
 なお夜に各旅館に灯りが入り、講の名を記した提灯を軒先に掲げた風情は独特のもので、宿泊し夜に散策することでさらにこの旅館街の魅力が感じ取れるといえよう。
 









訪問日:2011.08.13・14 TOP 町並INDEX

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