加茂の郷愁風景

新潟県加茂市【在郷町・産業町】 地図 
 
町並度 4 非俗化度 7 −和紙・箪笥が名産だった在郷商業町・産業町−
 


 加茂市は新潟市の南30km余り、越後平野の縁端に位置し信越本線により交通の便は良い。信濃川支流の加茂川沿いに古い市街地が開ける。
 中世は加茂荘の名が見え、また山城も築かれよ要害の地となった。
 江戸時代は新発田藩領で、在郷商業町、産業町として発達した歴史を持つ。加茂川沿いの往来の要所に位置していたため、早期から商業が集積し始めた。慶長期の記録では既に22軒の商家があり、藩内3位の軒数を誇っていた。同17年には町と称するようになり、さらに万治3(1660)年に新たに町割りを行い、六斎市を開いて物資のやり取りが頻繁に行われるようになったことで、商業の中心という地位は揺ぎ無いものとなった。
新町一丁目の町並


 

 地場産業として和紙と箪笥があった。紙は加茂紙として知られ、村松藩領で生産されるものも加茂の紙商人によって流通していた。また箪笥は江戸時代はそれほど盛んといえる状況ではなかったが、明治になると急速に生産量が増し、明治9年の記録では400棹、同31年には北越鉄道(現信越本線)の開通により販路が拡大され、明治末年頃には年間1万棹にも上っている。品質も高く、日本一の桐箪笥との評価も高く全国に知れ渡った。現在も伝統産業として連綿と受け継がれているものである。
 信越本線沿線とはいえ、上越新幹線、高速道の主軸からはやや南東に外れた位置にある。そのことが画一的な都市計画から免れ、古い町の形態を残しているといえるだろう。
 実は前回この地域を訪ねた時に、加茂市も探訪予定地に挙げていた。当日古い町並の中心で盛大に朝市が行われており、町並や建物を撮影するには不向きと見送った経緯がある。その時の印象を持って再訪したのだが、当時抱かなかった近代的な商店街の展開というのが第一認識だった。
 周囲には前回の印象とそれほど変らない町並風景も見られたので、もしかするとその間に更新されたのかもしれない。アーケードの形は雁木を引継いだという意識が感じられるのだが、風情という点ではいただけないものである。しかも道路拡幅に伴って建物も更新されたらしく、そのエリアでは古い町並というイメージはほぼ得ることが出来ない。
 いずれにせよ、古い町並の中心地区が失われたのは間違いないと思われる。新町の東部から若宮町、また商店街から入った南北の脇道には改修される以前の商店街の姿、造り酒屋なども見られたが、やや寂しい町並訪問となった。
 




新町二丁目の町並 若宮町一丁目の町並




若宮町一丁目の町並 上町の町並




上町の町並 本町から上町・新町にかけて更新されたれた商店街が連なる

訪問日:2017.04.29 TOP 町並INDEX